《聖母の死》
天井から大きな赤い幕が垂れる飾り気のない部屋で、赤い衣の聖母が寝台に横たわり、左腕を投げ出している。使徒たちがそのまわりで顔を覆って嘆き、手前ではマグダラのマリアが椅子に座って深くうなだれる。
概要
《聖母の死》は、イタリアの画家カラヴァッジョが描いた油彩の祭壇画で、パリのルーヴル美術館が所蔵する。館の記録では、キャンバスに油彩で、縦3.69メートル、横2.45メートル。制作は1601年から1606年頃で、所蔵番号はINV 54。ドノン翼のグランド・ギャラリー(712室)に展示されている。館の来歴によれば、1601年に教皇庁の法律家ラエルツィオ・ケルビーニが、ローマのトラステヴェレ地区にあるサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂の礼拝堂のために注文した。1605年の終わりか1606年の初めに仕上がったが、聖堂の聖職者に受け取りを拒まれた。フランス国立美術館連合(RMN-GP)の解説によれば、カラヴァッジョがローマ滞在中に描いた最後の作品で、最も大きな作品でもある。
画面の読み解き
RMN-GP の解説によれば、福音書は聖母の死を語らないが、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』には、生涯の終わりに眠りについた聖母を、天使に知らされ奇跡によって運ばれてきた使徒たちが看取る話がある。場面は飾りのない質素な部屋で、聖母は死して寝台に横たわる。唯一の装飾は、天井から垂れる大きな赤い幕である。聖母に近い者たちは、悲しみや絶望をありのままにあらわにする。手前には、うなだれた若い女性、おそらくマグダラのマリアがいて、その近くの銅のたらいには、遺体を清めるための香油が入っている。出どころの分からない一筋の光が画面を斜めに横切り、赤い衣をまとい左腕を投げ出した聖母を照らす。人物の配置は十字の形をなす。カラヴァッジョは、聖母の体をこわばってむくんだ姿に描き、光輪も控えめにして、主題の人間らしさを強めた。わずかに斜めに置かれた聖母は、まず素足とくるぶしを見る者に向けている。
技法・様式
RMN-GP の解説によれば、カラヴァッジョは、人物の写実と、劇場のような光の使い方という二つの新しさで当時の美術を一変させた。民衆を理想化せずにモデルとし、斜めの光を当てて存在感を強め、背景は闇に沈め、色数を絞る。本作にもこれらの特徴が表れている(テネブリズム)。光は人物を浮かび上がらせ、本質でないものを影に退ける。解説は、ここに素朴な人々の暮らしへの神の恵みの訪れを見ることができるとしている。
来歴
館の来歴によれば、本作は1607年にマントヴァ公フェルディナンド・ゴンザーガのコレクションに入り、1627年にはイングランド王チャールズ1世のものとなった。その後パリの収集家エーバーハルト・ヤーバッハが所有し、1671年にルイ14世に売られた。RMN-GP の解説は、マントヴァ公の購入は画家ピーテル・パウル・ルーベンスの助言によると記す。2015年にはルーヴル美術館の展覧会「聖なる像の工房 ローマ=パリ 1580〜1660」に出品された。
意義
RMN-GP の解説によれば、拒否の詳しい事情は分かっていないが、写実が生々しすぎると判断された。カラヴァッジョの宗教画には、不謹慎として拒まれたものがいくつもある。聖母を肉体の死の現実のうちに描き、超自然的なものが欠けているように見える解釈は、俗にすぎると受け取られたのかもしれない。同時代の人々は、聖母のモデルが娼婦だった、あるいはテヴェレ川から引き上げられた溺死者だったとも伝える。1606年に殺人の罪に問われてローマを逃れたことが、注文主に絵を手放させた可能性もある。礼拝堂には代わりにカルロ・サラチェーニのより穏当な絵が掛けられた。解説は、神を人間に近づけることで、画家は信徒の心を動かし教え導くという対抗宗教改革の教会の求めに応えたとしている。