《聖ペテロの磔刑》
- 作者
- カラヴァッジョ
- 制作年
- 1601年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 230 × 175 cm
- 所蔵
- サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 (チェラージ礼拝堂)
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- イタリア・バロック絵画
1601年、ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会チェラージ礼拝堂のために描かれた大作。逆さ十字に架けられた老いた使徒ペテロと、それを黙々と立てる3人の労働者を、闇の中から強い光で浮かび上がらせる。
概要
《聖ペテロの磔刑》(伊: Crocifissione di san Pietro、英: Crucifixion of Saint Peter)は、カラヴァッジョが1601年に描いた油彩画である。ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会チェラージ礼拝堂の左側壁を飾り、右側壁の《聖パウロの回心》と向かい合う。正面の祭壇画はアンニーバレ・カラッチの《聖母被昇天》で、三点で一つの装飾をなす。イタリア・バロック絵画の出発点を告げる作品として知られる。
来歴
1600年7月8日、教皇クレメンス8世の財務長官ティベリオ・チェラージが、アウグスティヌス修道会からこの礼拝堂の権利を買い取り、自身の墓所とするため改築を建築家カルロ・マデルノに委ねた。同年9月24日の契約書は、カラヴァッジョが糸杉の板に《聖パウロの回心》と本作を8か月で描くこと、報酬を400スクードとすることを定めている。チェラージは1601年5月3日に没し、遺産を継いだコンソラツィオーネ施療院が仕事を引き継いだ。画家は同年11月10日までに残額を受け取っているが、報酬は理由が伝わらないまま300スクードに減額された。絵が礼拝堂に取り付けられたのは1605年5月である。なお現存する2点は契約と異なりキャンバスに描かれており、画家ジョヴァンニ・バリオーネは1642年の伝記で、初めに描かれた版は注文主の気に入らず、サンネージオ枢機卿の手に渡ったと伝えている。
画面の読み解き
使徒ペテロは、ローマで死刑を宣告されたとき、主と同じ形で死ぬには値しないとして、頭を下にした逆さ十字を望んだと外典『ペテロ行伝』は伝える。画面はその十字架がまさに立てられようとする瞬間をとらえている。すでに手足を釘で打たれたペテロは、老いてなお筋肉質の体を起こし、執行人ではなく画面の外へ視線を向ける。十字架を引き上げるのは3人の労働者で、1人が縄を引き、1人が肩で横木を押し上げ、黄色い衣の1人は杭を埋める穴を掘ったスコップを握って身をかがめる。顔はほとんど見えず、彼らは命令を実行するだけの無名の存在として描かれる。背後の闇は岩壁であり、「岩」を意味するペテロの名と、その上に教会が建てられるという福音書の言葉を響かせている。
技法・様式
230×175センチの大画面に3人と使徒を詰め込み、左下から右上へ走る十字架の対角線が構図を支配する。カラヴァッジョは背景を闇に沈め、斜めから差す強い光で体と布だけを照らすテネブリズムを用いた。中間の階調は切り詰められ、汚れた足、太い血管、深いしわが容赦なく描かれる。修復の調査では描き直し(ペンティメント)がほとんど見られず、下絵を用いずに一気に描き上げたとみられる。向かい合う《聖パウロの回心》とともに、正面からではなく斜めから見ることを前提としており、見る者の視線は自然に中央の祭壇へ導かれる。
意義
伝統的な図像では、ペテロはすでに逆さ十字に架けられた姿で描かれてきた。十字架を立てる途中の場面を選んだのはミケランジェロがパオリーナ礼拝堂の壁画(1546〜1550年)で試みた工夫で、カラヴァッジョはこれを受け継ぎながら、壮大な幻視ではなく、同時代の作業現場と変わらない処刑の光景として描いた。殉教は英雄的な見せ場ではなく、重い木と老いた体をめぐる労苦として示される。1616年にはローマで学んだヘリット・ファン・ホントホルストが本作を丹念に模写しており、早くから高く評価されていたことがわかる。コンタレッリ礼拝堂の連作に続くこの2点によって、カラヴァッジョの名声は決定的なものとなった。