《洗礼者聖ヨハネの斬首》
- 作者
- カラヴァッジョ
- 制作年
- 1608年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 360 × 520 cm
- 所蔵
- 聖ヨハネ准司教座聖堂
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- イタリア・バロック絵画
薄明かりの牢獄の中庭で、床に倒れた聖ヨハネに処刑人が身をかがめ、背に短刀を構える。若い女が金の盆を差し出し、老女は顔を覆い、鉄格子の窓の向こうから囚人たちが見つめる。
概要
《洗礼者聖ヨハネの斬首》(伊: Decollazione di San Giovanni Battista)は、カラヴァッジョが1608年、マルタ島で描いた油彩画である。縦360センチ、横520センチの巨大なキャンバスで、首都バレッタの聖ヨハネ准司教座聖堂の、洗礼者聖ヨハネのオラトリオ(祈祷堂)に掛かる。マルタ騎士団のために描かれ、イタリアの美術誌『フィネストレ・スッラルテ』(2020年)によれば、画家の作品で最も大きく、知られる作品のなかで唯一署名がある。牢獄に捕らわれた洗礼者ヨハネが首を斬られる、福音書の場面を描く。
画面の読み解き
トレッカーニの『イタリア人名辞典』によれば、舞台は物言わぬ石のような厳粛さに満ちた牢獄の中庭で、黒く重い石組みの門、壊れかけた格子戸の奥に見える内庭、明け方の光に青ざめた壁、囚人たちがのぞく鉄格子の窓、上から下りて壁の輪に結ばれた二重の綱が描かれる。『フィネストレ・スッラルテ』によれば、左側に人物が集まり、処刑人はヨハネを殺めたところで、看守は無表情に盆を指し示す。年老いた女は恐れに両手で顔を覆い、盆を差し出す若い女はサロメ本人とも、質素な服から召使いとも考えられている。右では二人の囚人が、独房の格子越しに出来事を見ている。
技法・様式
『フィネストレ・スッラルテ』によれば、画面の大部分は、牢獄の大きなアーチと独房の窓枠、壁で占められる。人物は左半分に寄せられ、残りの広い空間は、明け方の光を受けた壁が静かに満たしている。『イタリア人名辞典』は、画家が身を引いて、処刑という劇を容赦のない客観性の中に閉じ込めたと評する。闇と光を強く対比させるテネブリズムも、ここでは人物の一群だけを照らす抑えた光になっている。同辞典によれば、名高い署名はヨハネの首から流れる血の中に途切れた形で記され、「MichelAng」の前の「f」は修道騎士を表す「fra」の略である。
来歴
ローマで人を殺めて死刑を宣告され、逃亡の身だった画家は、聖堂の公式サイトによれば、1607年7月に騎士団の船でマルタへ渡った。1608年7月14日、騎士団長アロフ・ド・ヴィニャクールは画家を「服従の騎士」として迎え入れる。『イタリア人名辞典』によれば、本作は騎士の十字を受けた時点ではまだ完成しておらず、署名の「f」は、画家が正式に「フラ・ミケランジェロ」と名乗れるようになった7月14日より後に絵が引き渡されたことを示す。しかし8月末に騒動を起こして逮捕され、聖アンジェロ砦に投獄された。10月6日に脱獄してシチリアのシラクサへ渡り、聖堂によれば、同年12月1日、本作の前で騎士団から「腐って悪臭を放つ手足のように」追放された。
意義
『イタリア人名辞典』は本作を、画家のマルタ滞在を記憶にとどめる、根幹となる巨大な作品と呼ぶ。同じオラトリオには、同じ時期に描かれた《執筆する聖ヒエロニムス》も掛かる。オラトリオは1680年から画家マッティア・プレティによって改装されたが、本作は、騎士団が画家を迎え入れ、そして追放したその場に、今も掛かっている。