《ゴリアテの首を持つダヴィデ》
- 作者
- カラヴァッジョ
- 制作年
- 1606–1610年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 125 × 101 cm
- 所蔵
- ボルゲーゼ美術館
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- イタリア・バロック絵画
闇を背に、白い肌着をはだけた少年ダヴィデが、右手に剣を下げ、左手で巨人ゴリアテの切られた首の髪をつかんで差し出す。少年は勝ち誇らず、眉を寄せて首を見下ろし、首は口を開けたまま虚ろな目をしている。
概要
《ゴリアテの首を持つダヴィデ》は、イタリアの画家カラヴァッジョが描いた油彩画で、ローマのボルゲーゼ美術館が所蔵する。館の記録では、キャンバスに油彩で、縦125センチ、横101センチ。所蔵番号は455で、第8室(シレノスの間)に展示され、葉やざくろ、アカンサスの渦巻きで飾った17世紀の額に収まる。制作年は1606〜07年とする説と1609〜10年とする説があり、館は両方を挙げている。館の解説(アントニオ・イオンメッリ、2023年)は、年代と意味をめぐって常に激しい議論の的となってきたこの絵が、1606年に殺人の罪でローマを逃れ、コロンナ家の庇護のもとパリアーノ、ついでナポリに身を寄せた画家の、人間としての悲劇をまぎれもなく表しているとする。
画面の読み解き
館によれば、巨人ゴリアテに対するダヴィデの勝利という主題は、おそらく画家自身が選んだ。イスラエルの英雄は勝ち誇る様子を見せず、悲しげに心を動かされたまま、恐ろしいペリシテ人の切られた首を憂いを帯びて見つめる。その巨人の顔に、カラヴァッジョは自らの顔を描き込んだ。テネブリズムの暗い背景に描かれた若い羊飼いは、勝利する徳と勇気の象徴で、手にする剣の刃には「H.AS O S」の文字が読める。研究者マウリツィオ・マリーニらはこれを、聖アウグスティヌスに由来する標語「謙遜は傲慢を殺す」の略と読んだが、画家の署名とする説や、刀鍛冶の刻印をそのまま写したとする説もある。マリーニは、腕を上げたしぐさを英雄らしさを否定するものと読み、サウルの天幕に首を携えて入る場面と考えて、左上にその天幕を見ている。
技法・様式
館によれば、多くの研究者は、絵具の塗り方、光の扱い、色数の絞り込みが、ナポリの《聖ウルスラの殉教》など晩年の作品に近いことから、本作を2度目のナポリ滞在中の作とする。一方で、絵の表面は何度もの修復でやせて擦れており、2016年の調査で見つかった刻線や下地は1606〜07年の作品に近い。解説の筆者は、量感のある引き締まった形が晩年の速い筆致よりもローマ時代末の作品に近いとして、年代の問題をなお開いたままにすべきだとしている。17世紀の美術史家ベッローリは、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿が画家に直接注文したと伝え、1605〜06年とする研究者もいる。
来歴
館の来歴によれば、本作は1610年にナポリにあったとみられ、遅くとも1613年には教皇の甥シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のコレクションに入っていた。この年、枢機卿は家具職人アンニーバレ・ドゥランテに「巨人の首を持つダヴィデの絵」のための額の代金を支払い、文人フランクッチがピンチャーナ門の別荘で本作を見ている。1650年にはヤーコモ・マニッリが案内記で、巨人の顔は画家自身、ダヴィデは画家の弟子を描いたと初めて記した。1693年と1790年の目録、1833年の信託遺産目録に載り、1902年に国が購入した。同じ図柄の作品は7点知られ、カッセルのアルテ・マイスター絵画館などにある。
意義
館によれば、1985年にマウリツィオ・カルヴェージは、本作は殺人の恩赦を教皇パウルス5世に願うため、甥のシピオーネを通じて届けられた贈り物で、画家自身の斬首を描いたものだと初めて唱えた。この見方では、画家は罰する道徳であるダヴィデと、罰を求める罪人ゴリアテの両方に自らを描いたことになり、今日最も広く受け入れられている。1610年7月、画家はナポリから船でローマへ向かったが、その途中で没した。剣の銘と主題は、カラヴァッジョの最後の月日を物語る強い証しと読まれている。画家の晩年の作には《洗礼者聖ヨハネの斬首》もある。