
ナダール撮影の肖像写真。1870年以前、フランス国立図書館
Wikimedia Commons / フランス国立図書館 / Public domain- 生没年
- 1832–1883年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 写実主義・印象派
エドゥアール・マネ
1832年にパリで生まれ、1883年に同地で没したフランスの画家。同時代のパリの人々を、平たい色面と強い明暗で描いた。《草上の昼食》や《オランピア》で激しい非難を浴びながら、近代絵画への道を開いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1832年1月、パリの裕福な家庭に生まれた。司法官の父は法律家にしたかったが、マネは海軍兵学校の入試に二度失敗して画家を志し、1850年から歴史画家トマ・クチュールのアトリエで学んだ。ルーヴル美術館でティツィアーノやベラスケスを模写した。1861年に《スペインの歌手》でサロンに初入選したが、1863年の落選展の《草上の昼食》と1865年のサロンの《オランピア》は激しい非難を浴びた。1863年にシュザンヌ・レーンホフと結婚。1870年代末から病に苦しみ、1883年4月にパリで没した。
様式の変遷
初期には、酒場の男や歌い手、スペイン風の衣装の人物を暗い背景に大きな筆致で描いた。1865年にはスペインを旅してプラド美術館でディエゴ・ベラスケスに接し、「画家の中の画家」と讃えた。背景を省き、人物を平たい色面に置く《笛を吹く少年》(1866年)には、その学びと浮世絵への関心が表れる。1870年代には、ベルト・モリゾやクロード・モネらの影響で明るい色調と戸外の光を取り入れたが、印象派の画家たちが避けた黒を生涯使い続けた。
代表作
《草上の昼食》(1863年)と、ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》を下敷きにした《オランピア》(1863年)は、ともにオルセー美術館にある。ほかに《キアサージ号とアラバマ号の海戦》(1864年、フィラデルフィア美術館)、《鉄道》(1873年、ワシントン)、最後の大作《フォリー・ベルジェールのバー》(1882年、コートールド・ギャラリー)がある。
影響
印象派展には一度も参加せずサロンでの成功を求めたが、伝統的な陰影や遠近法にとらわれない画法は、モネやルノワールら若い画家を引きつけた。明るい下地に不透明な絵具を一度で置く描き方は印象派に受け継がれ、油彩の標準となった。ゾラやマラルメら文学者にも支持され、近代絵画の父と呼ばれる。