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《草上の昼食》

Le Déjeuner sur l'herbe
《草上の昼食》エドゥアール・マネ
Wikimedia Commons / オルセー美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
エドゥアール・マネ
制作年
1863年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
207 × 265 cm
流派
写実主義

エドゥアール・マネが1863年に描いた油彩画。森の中の草地に、きちんと服を着た二人の男性と裸の女性が並んで座る。同年のサロンに落選し、落選展で嘲笑と非難を浴びたが、今日では近代絵画の出発点の一つとされる。

概要

《草上の昼食》(仏: Le Déjeuner sur l'herbe)は、エドゥアール・マネが1863年に描いた油彩画である。縦2メートル、横2.6メートルを超える大きな画面に、森の中でくつろぐ着衣の二人の男性と、服を脱いで腰を下ろす女性、奥の水辺で身をかがめる薄着の女性が描かれている。1863年のサロンに落選し、同じ年の落選展に「水浴」(Le Bain)の題で展示されて大きな騒ぎとなった。写実主義から印象派への転換点に立つ作品で、オルセー美術館が所蔵する。

来歴

1863年のサロンは審査が例年になく厳しく、応募作の半数以上が落選した。不満の声を受けて皇帝ナポレオン3世が落選作を集めた展覧会を別に開かせると、本作はその最大の呼び物となり、会場は笑いと非難に包まれた。マネは1867年、クロード・モネが描いた同じ主題の大作にちなんで、現在の題に改めたとされる。買い手はつかず、1878年にバリトン歌手で収集家のジャン=バティスト・フォールが画家から購入した。画商デュラン=リュエルを経て1900年に収集家エティエンヌ・モロー=ネラトンの手に渡り、1906年に国に寄贈される。装飾美術館を経て1934年からルーヴル美術館に入り、1947年からは同館の印象派の作品を集めたジュ・ド・ポーム館で展示された。1986年のオルセー美術館の開館とともに現在の場所に移った。

画面の読み解き

木陰の草地に三人が座る。左の女性は裸で、片膝を立てて頬杖をつき、まっすぐこちらを見つめている。その隣に黒い上着の男性が座り、右の男性は房のついた帽子をかぶって杖を持ち、右手を差し出して何かを語りかける。左下には女性が脱いだ青い服と麦わら帽子、果物のこぼれた籠、丸いパンが静物画のように置かれ、これがピクニックの場面であることを示す。奥の水辺では、薄い肌着の女性が裾をたくし上げて身をかがめるが、手前の人物と比べて大きすぎ、遠近の辻褄は合わない。裸の女性のモデルは、マネが好んで描いたヴィクトリーヌ・ムーランである。

構図には古典の手本がある。森の中で着衣の男性と裸の女性がくつろぐ主題は、ルーヴル美術館にあるティツィアーノ(かつてはジョルジョーネの作とされた)の《田園の奏楽》から借り、手前の三人の姿勢は、ラファエロの下絵をもとにしたマルカントニオ・ライモンディの版画《パリスの審判》(1515年頃)で右下に座る三人にならっている。しかし当時、裸婦は神話や寓意の姿で描くのが約束事で、同じ年のサロンではカバネルの《ヴィーナスの誕生》が称賛された。脱いだばかりの流行の服とともに描かれた本作の女性は、明らかに同時代のパリの女性であり、観客はそこに不道徳な光景を読み取った。

技法・様式

キャンバスに油彩で描かれている。マネは明るい部分と暗い部分をつなぐ中間の調子を省き、光を浴びた裸婦の白い肌を、男性たちの黒い服や暗い森の緑とじかに並べた。こうした強い対比は、当時「塊で見る癖」と批判された。背景の森は奥行きを欠いた書き割りのように平たく、人物は風景から浮き上がって見える。手前の人物がくっきりと描かれる一方、奥の女性や木々は粗い筆致で塗られ、未完成に見える部分もある。本来は歴史画や宗教画に用いる大きなカンヴァスに、神話でも歴史でもない同時代の人々を描いたことも、アカデミーの約束事への挑戦だった。

意義

古典の構図を借りながら、それを同時代のパリに置き換え、筆の跡や平たい色面を隠さなかった本作は、主題よりも描くことそのものを前に出す絵画のはじまりとされ、オルセー美術館は近代美術の出発点と位置づける。非難を浴びたマネのもとには、のちに印象派となる若い画家たちが集まった。作家エミール・ゾラは本作をマネの最高傑作と呼んで擁護し、小説『制作』(1886年)では架空の落選展に似た絵を登場させている。モネやセザンヌも同じ題の作品を描き、20世紀にはピカソが1949年から1962年にかけて、本作をもとに27点の油彩と約140点の素描を残した。