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《キアサージ号とアラバマ号の海戦》

Le Combat du Kearsarge et de l'Alabama
《キアサージ号とアラバマ号の海戦》エドゥアール・マネ
Wikimedia Commons / フィラデルフィア美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
エドゥアール・マネ
制作年
1864年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
137.8 × 128.9 cm
流派
写実主義
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1864年6月にフランスのシェルブール沖で起きた南北戦争の海戦を、新聞報道をもとに描いたマネ初の海景画。画面の四分の三を占める深い緑の海の向こうで、南軍の軍艦アラバマが船尾から沈んでいく。

概要

《キアサージ号とアラバマ号の海戦》(仏: Le Combat du Kearsarge et de l'Alabama)は、エドゥアール・マネが1864年に描いた油彩画である。同年6月19日にフランスのシェルブール沖で戦われた、アメリカ南北戦争の海戦を主題とする。マネが同時代の事件を描いた最初の作品であり、最初の海の絵でもある。フィラデルフィア美術館が所蔵する。

来歴

南軍の通商破壊艦アラバマは、1862年から2年近くにわたって北軍の商船を襲い、1864年6月11日、修理のためシェルブール港に入った。3日後、これを追っていた北軍のキアサージが港の外を封鎖する。アラバマの艦長ラファエル・セムズは戦いを選び、6月19日、公海に出た両艦は1時間あまり砲火を交わしてアラバマが沈んだ。海戦はフランスとイギリスの新聞で大きく報じられ、現場にいなかったマネは、その記事をもとに制作に取りかかる。絵は戦いの26日後には、パリのリシュリュー通りにあるアルフレッド・カダールの店の窓に掛けられた。1872年1月に画商ポール・デュラン=リュエルがほかのマネ作品とともに買い取り、同年のサロンにも出品される。1878年には《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》の注文主マルグリット・シャルパンティエの手に渡り、1888年にフィラデルフィアの弁護士ジョン・G・ジョンソンが購入した。1917年、ジョンソンの遺贈によって同館に収められている。

画面の読み解き

水平線は画面のかなり高いところに引かれ、海が四分の三を占める。中央やや上で、南軍のアラバマが帆を張ったまま船尾から沈みかけ、黒い煙を噴き上げている。その左奥、煙にほとんど隠れているのが、砲撃を加えた北軍のキアサージである。右端には別の船が小さく浮かび、海面には投げ出された乗員の頭が見える。手前の左には、フランスの旗を掲げた小舟が帆をふくらませて近づいてくる。主役であるはずの二隻の軍艦は遠く小さく、うねる海面の描写が画面の大部分を担う。

技法・様式

キャンバスに油彩で、大きさは137.8×128.9センチ。縦にわずかに長い画面に、青緑から灰色までの短い筆触を重ねて波のうねりをつくる。船や人の細部は省かれ、遠くの出来事として扱われている。高く取った水平線には、マネが関心を寄せていた日本の版画との関わりが指摘される。海戦という題材は伝統的に大画面の歴史画に属するが、マネは英雄的な瞬間を選ばず、沈みゆく船と広がる海だけを示した。署名は右下にある。

意義

新聞で読んだばかりの出来事をひと月足らずで絵にし、街の店先に掲げるという発表の仕方は、同時代性を重んじるマネの姿勢をよく示している。批評家バルベー・ドールヴィイは1872年に、これを見事な海の絵と呼び、「海は戦いよりも恐ろしい」と評した。マネはこののちブローニュやベルク=シュル=メールで多くの海の絵を描き、没する数年前まで、その風景画はほとんどが海を主題としていた。