《オランピア》
白い敷布の寝台に、裸の女性が身を起こして横たわり、まっすぐこちらを見つめる。その後ろでは黒人の召使いが大きな花束を差し出し、寝台の端では黒猫が尾を立てている。
概要
《オランピア》(仏: Olympia)は、エドゥアール・マネが1863年に描いた油彩画である。縦130.5センチ、横191センチの画面で、オルセー美術館が所蔵する。左下に「Ed. Manet 1863」の署名と年記がある。寝台に横たわる裸の女性と、花束を差し出す黒人の女性の召使い、寝台の端の黒猫を描く。所蔵館によれば、マネは率直で妥協のない描き方で、女性の裸という伝統的な主題をつくり変えた。1865年のサロンに出品されて大きな騒ぎを起こした、写実主義の時代を代表する横たわる裸婦である。
画面の読み解き
白い敷布とクッションを重ねた寝台の上で、裸の女性が上半身を起こして横たわる。髪に桃色の花を挿し、首に黒いリボンを結び、腕には金の腕輪をはめ、片足にだけ室内履きをはいている。左手を太ももの上に置き、顔をこちらに向けて、見る者をまっすぐ見つめる。右では桃色の服を着た黒人の召使いが、紙に包んだ大きな花束を差し出す。寝台の右端では、黒猫が背を丸めて尾を立てている。背景は暗い緑のカーテンと茶色の壁で、光を浴びた白い肌と敷布がくっきりと浮かび上がる。裸婦の体は陰影をほとんどつけずに明るく塗られ、輪郭が暗い線で縁どられている。
技法・様式
所蔵館によれば、マネはティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》やゴヤの《裸のマハ》、オダリスク(東方の後宮の女)の図像を踏まえながら、それらを同時代の冷ややかで散文的な主題に置き換えた。ヴィーナスは、まなざしで見る者に挑む娼婦になったのである。モデルについては、モーガン・ライブラリー&ミュージアムが所蔵するマネの手帳(1860〜1862年)に手がかりがある。同館によれば、手帳には召使いのモデルとなった「ロール、とても美しい黒人女性」とその住所が書きとめられている。同じ手帳には、裸婦のモデルを務めたヴィクトリーヌ・ムーランについての最も早い記録もある。ムーランは1862年から1873年にかけて、《草上の昼食》と本作をはじめ、マネの名高い作品の多くでポーズをとった。
来歴
所蔵館によれば、本作は1865年のサロン(パレ・デ・シャンゼリゼ、出品番号1428)に出品された。批評家たちは「この黄色い腹のオダリスク」に激しい攻撃を浴びせたが、ゾラを先頭とする幾人かの同時代人は、その近代性を擁護した。1867年のパリ万国博覧会の年には、マネが開いた個展の展示館で公開されている。マネの死後の1890年、クロード・モネの呼びかけで募った寄付金によって国に贈られ、リュクサンブール美術館に入った。1907年にルーヴル美術館へ移り、1947年からはジュ・ド・ポーム館で展示され、1986年にオルセー美術館に移っている。所蔵番号RF 644。メトロポリタン美術館によれば、2023年に両館が共同で開いた「マネ/ドガ」展のため、本作は初めてアメリカに渡った。
意義
所蔵館によれば、理想化された女神ではなく同時代の娼婦を描いた本作は、アカデミックな伝統の根幹にある主題を汚すものと受け止められた。この騒ぎの中で、召使いの姿はほとんど注目されなかった。オルセー美術館が2019年に開いた「黒人モデル ジェリコーからマティスまで」展は、こうした見過ごされてきたモデルたちの名と物語を取り戻そうとする試みで、モーガン・ライブラリー&ミュージアムはこのとき初めてマネの手帳を貸し出した。本作は後の画家たちにも問いを投げかけ、所蔵館によれば、ポール・セザンヌは1870年に本作への応答として《モダン・オランピア》を描き、1873〜1874年の同じ題の作品を1874年の第1回印象派展に出品した。