
《自画像》1876年、ハーヴァード美術館(フォッグ美術館)
Wikimedia Commons / ハーヴァード美術館 / Public domain- 生没年
- 1841–1919年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 印象派
ピエール=オーギュスト・ルノワール
1841年にリモージュで生まれ、1919年にカーニュ=シュル=メールで没したフランスの画家。印象派の中心の一人として、木漏れ日の中の人々や女性、子どもを、やわらかな光と温かな色彩で描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1841年2月25日、リモージュの仕立屋の家に生まれ、3歳で一家とパリに移った。13歳で磁器の絵付け工房に奉公し、ルーヴルに通って古典を学ぶ。1862年にシャルル・グレールの画塾に入り、モネ、シスレー、バジールと出会った。1868年のサロンで《日傘のリーズ》が評価され、翌年のサロンにも同じモデルの《夏・習作》が入った。1874年からの印象派展に加わった。1881年からアルジェリア、スペイン、イタリアを旅し、ローマでラファエロの壁画に打たれた。1890年にアリーヌ・シャリゴと結婚し、次男ジャンは映画監督となった。1890年代初めから関節リウマチに苦しみ、1907年から南仏カーニュ=シュル=メールに住んで制作を続け、1919年12月3日に同地で没した。
様式の変遷
1860年代末、モネと並んでセーヌ河畔の行楽地ラ・グルヌイエールを描き、水面や木漏れ日のきらめきを明るい筆触でとらえる印象派の技法を身につけた。1870年代には、モンマルトルの人々の休日やパリの風俗を、揺らめく光の中に描く。1880年代初めのイタリア旅行の後は、輪郭をはっきり描き、なめらかな肌の人物を古典的な構図に配する「アングル風」の時期に入り、《雨傘》(1881〜1886年頃)や《大水浴図》(1884〜1887年)を描いた。1890年代以降は再び柔らかな筆づかいに戻り、暖かな赤や橙で、豊かな量感の裸婦を数多く描いた。
代表作
《桟敷席》(1874年、コートールド・ギャラリー)、《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》(1876年、オルセー美術館)、《シャルパンティエ夫人とその子どもたち》(1878年、メトロポリタン美術館)、《舟遊びをする人々の昼食》(1880〜1881年、フィリップス・コレクション)、《ピアノに寄る少女たち》(1892年、オルセー美術館)、晩年の《浴女たち》(1918〜1919年、同)がある。
影響
晩年の量感豊かな裸婦像は、マティスやピカソら20世紀の画家たちにも注目された。次男ジャンは、父の思い出を伝記に書き残している。