
《東方三博士の礼拝》(1475年頃、ウフィツィ美術館)の部分。画家の自画像とされる
Wikimedia Commons / ウフィツィ美術館 / Public domain- 生没年
- 1445–1510年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
サンドロ・ボッティチェッリ
1445年頃にフィレンツェで生まれ、1510年に同地で没した初期ルネサンスの画家。明快な輪郭線と流れるような線のリズムで、神話や聖母子を優美に描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ。1445年頃、フィレンツェのオニッサンティ地区で皮なめし職人の子として生まれた。「ボッティチェッリ(小さな樽)」の名は、兄ジョヴァンニのあだ名に由来する。1460年代初めからフィリッポ・リッピの工房で学び、1470年までには自分の工房を構えた。メディチ家とその周辺の注文で名声を高め、1481〜1482年にローマに招かれてシスティーナ礼拝堂の壁画制作に加わる。メディチ家の追放とサヴォナローラの時代を経て、1510年5月17日に没し、オニッサンティ聖堂に葬られた。
様式の変遷
リッピからは、明快な輪郭線と穏やかな陰影で人物を描く方法を学び、ポッライオーロ兄弟やヴェロッキオからは力強い人体表現を吸収した。もっとも充実したのは1480年代で、《春(プリマヴェーラ)》や《ヴィーナスの誕生》など大画面の神話画と、円形の画面(トンド)に描く聖母子を多く手がけた。1490年代に入ると画面は緊張を増し、《誹謗》(1494〜1495年頃)や、年記のある唯一の作品《神秘の降誕》(1501年)では、遠近法や比例の約束事からあえて離れた、古風で個人的な表現へと向かった。
代表作
《ヴィーナスの誕生》(1485年頃)と《春》(1480年頃)は、ともにウフィツィ美術館にある。同館は《東方三博士の礼拝》(1470〜1475年)も所蔵する。ロンドン・ナショナル・ギャラリーには《ヴィーナスとマルス》(1485年頃)がある。ほかにシスティーナ礼拝堂の壁画3面や『神曲』の挿絵の素描群がある。
影響
工房からは師の息子フィリッピーノ・リッピが育った。没後はレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロら盛期ルネサンスの画家たちの陰に隠れた。19世紀後半、ラファエル前派や批評家ジョン・ラスキン、ウォルター・ペイターらが、繊細な線と憂いを帯びた人物に新しい美を見いだして再評価が進み、今日では初期ルネサンスを代表する画家の一人とされる。