《キリストの哀悼》
- 作者
- サンドロ・ボッティチェッリ
- 制作年
- 1490–1495年
- 素材
- 板(ポプラ材) / テンペラ・油絵具
- 寸法
- 140 × 209.2 cm
- 所蔵
- アルテ・ピナコテーク
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- 初期ルネサンス
岩の墓の暗い入口を背に、聖母が亡き子を膝に抱いたまま気を失い、ヨハネがその体を支える。女たちがキリストの頭と足に顔を寄せ、左右には聖ヒエロニムスと聖パウロ、聖ペテロが立つ。
概要
《キリストの哀悼》は、イタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリが1490年から1495年頃に描いた祭壇画で、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークが所蔵する。館の記録では、ポプラ材の板に描かれ、縦140センチ、横209.2センチ。所蔵番号は1075で、館の上階の第II室に展示されている。館によれば、ボッティチェッリは本作を、フィレンツェの律修参事会のサン・パオリーノ聖堂の主祭壇のために描いた。
画面の読み解き
館の解説によれば、本作は、キリストの受難を瞑想するための、嘆きの女たちと聖人たちに囲まれたピエタ(死んだキリストを抱く聖母)を、墓の暗い洞窟の前に描いたものである。象徴的に組み立てられた場面は、同時に劇的な一瞬を描いている。聖母は悲しみに打ちひしがれ、気を失って横へ倒れかかる。ヨハネが聖母を支え、まばゆく白いキリストの亡骸が聖母の膝から滑り落ちないようにしている。画面では、ひとりの女がキリストの頭を抱いて頬を寄せ、もうひとりが足を抱えてうずくまる。緑の衣の女は顔に手を当てて嘆いている。日本語版ウィキペディアは、描かれた人物を、聖母、聖ペテロ、マグダラのマリア、福音記者ヨハネ、聖ヒエロニムス、聖パウロとする。左端では、上半身をあらわにした聖ヒエロニムスが石を手に胸に当て、その隣の聖パウロは剣を持ち、右端の聖ペテロは鍵を手にしている。
技法・様式
館は、本作の色彩の力強さと表現力に富んだ構図を、ボッティチェッリの後期の始まりを示す典型的な作品とみる。日本語版ウィキペディアは、人物たちの悲しみの表し方はボッティチェッリの芸術では新しいものだったとし、当時フィレンツェで説教したサヴォナローラの影響を受けて、画家が寓意的な作品から宗教的な作品へ向かい、厳粛で禁欲的な雰囲気の作品になったと説明している。
来歴
館の記録によれば、本作は1814年にバイエルンの皇太子ルートヴィヒ(のちの国王ルートヴィヒ1世)が取得した。美術ニュースサイト artdaily の2017年10月12日の記事によれば、バイエルン州立絵画コレクションのドルナー研究所は、ルドルフ・アウグスト・オエトカー財団の支援を受けて本作の修復を終えた。調査と洗浄の試験によって、本作は黄ばんだワニスと、とりわけ19世紀の修復で傷んでいたことがわかった。1812年、フィレンツェの修復家が、失われたり塗り込められたりした絵具層を隠すために広い範囲に加筆し、力強い色彩がひどくくすんでいたという。
意義
同じ記事は、修復によって、本作の冷たくも輝く、対比の強い色彩が再び見えるようになり、見た目は画家の意図した姿にかなり近づいたとしている。館の研究頁によれば、2018年10月から2019年2月の展覧会「フィレンツェとその画家たち ジョットからレオナルド・ダ・ヴィンチまで」に合わせて、館の歴史で初めて、ミュンヘンが所蔵する14世紀から16世紀のフィレンツェ絵画のほぼすべてが画廊に並び、その制作技法についての学際的な研究の成果も紹介された。