《剛毅》
彫りのある大理石の座に、鎧の胸当てを優美な衣の上につけた若い女性が座り、膝に王笏を横たえる。うつむいた顔には憂いが漂い、赤いマントが膝から床へと流れ落ちている。
概要
《剛毅》は、イタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリが1470年に描いた寓意画で、フィレンツェのウフィツィ美術館が所蔵する。館の記録では、板に脂肪質のテンペラで描かれ、縦167センチ、横87センチ。所蔵番号は1890年目録の1606番で、館のA10室「ポッライオーロとボッティチェッリ」に展示されている。日本語版ウィキペディアによれば、記録に残るボッティチェッリの最初の傑作とされる。
画面の読み解き
館の解説によれば、剛毅は、優美な衣の上に鎧をまとい、支配者の王笏を手にした若い女性として表されている。武具を身につけてはいても、この美徳が指すのは、善を追い求めるうえでの強さと粘り強さである。剛毅は、人の主要な徳である四枢要徳の一つにあたる。ボッティチェッリの美徳は、ほかの板と違って、彫りの装飾がより豊かな大理石の座に座っている。若い女性の体は長くしなやかで、その顔にはすでに、ボッティチェッリの女性像に特有のけだるく憂いを帯びた表情がある。画面では、女性は胸当てと籠手をつけ、白い衣の上に赤いマントを膝から床へ垂らし、王笏を両手で膝の上に支えている。
技法・様式
館によれば、連作のほかの板が糸杉の板に描かれているのに対し、《剛毅》は、トスカーナで板絵に一般的に用いられたポプラの板に描かれている。日本語版ウィキペディアによれば、わずかなコントラポストの姿勢が前へ進む力を感じさせ、線遠近法によって女性像は画面中央の手前に置かれ、鋭い光に照らされている。
来歴
館によれば、本作は、1469年にフィレンツェのシニョリーア広場の商業裁判所の法廷のためにピエロ・デル・ポッライオーロに注文された美徳の連作のうち、ボッティチェッリが描いた唯一の板である。ボッティチェッリへの注文は、制作を監督する委員の一人で、メディチ派に属したトンマーゾ・ソデリーニによるもので、若いボッティチェッリがメディチ派とつながりをもっていたためだった。ポッライオーロの当然の抗議もあって、ボッティチェッリの参加はこの一人の像だけに限られた。日本語版ウィキペディアによれば、報酬は1470年8月18日に支払われた。商業裁判所は、フィレンツェの商人どうしの争いを裁き、アルテと呼ばれる同業組合のあいだの裁きを司った機関で、18世紀にその財産は商工会議所に移り、7点の美徳の絵も1777年にウフィツィに運ばれた。
意義
日本語版ウィキペディアによれば、剛毅は七つの徳のなかでほかの六つを支える最初の徳と位置づけられ、本作は、ルネサンス期の古典的な擬人像の形式と中世的な要素の両方を備えている。同じ記事は、モデルについて、ロレンツォ・デ・メディチの愛人とされるルクレツィア・ドナーティだった可能性が指摘されていることも伝えている。館は本作を、ボッティチェッリの女性像の特徴がすでに表れた作品として紹介している。