《ヴィーナスの誕生》
サンドロ・ボッティチェッリが1485年頃に描いた、愛と美の女神ヴィーナスの絵。海の泡から生まれた女神が貝に乗って岸に着く場面を、流れるような線と明るい色彩で描いた、初期ルネサンスのフィレンツェを代表する作品である。
概要
《ヴィーナスの誕生》(伊: Nascita di Venere)は、サンドロ・ボッティチェッリが1485年頃に描いた、キャンバスにテンペラの絵である。海の泡から大人の姿で生まれた愛と美の女神ヴィーナスが、大きな帆立貝に乗って岸にたどり着く場面を描く。古代の神話を大画面に描き、女性の裸体を中心に据えた絵は、古代以後の西洋絵画にはほとんど例がなかった。初期ルネサンスのフィレンツェを代表する作品で、ウフィツィ美術館が所蔵する。
来歴
注文主を記した記録は残っていない。最初の記録は、ジョルジョ・ヴァザーリが1550年の『画家・彫刻家・建築家列伝』で、フィレンツェ郊外カステッロのメディチ家の別荘に《春(プリマヴェーラ)》とともにあると記したものである。別荘はメディチ家の分家、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチらの持ち物で、長く彼の注文と考えられてきた。ただし1499年の分家の財産目録に本作は見えず、メディチ家に入ったのはそれ以後とする見方もある。ウフィツィ美術館は、岸辺に描かれたオレンジの木がメディチ家の象徴であることから、注文主は一族の中にいた可能性が高いとしている。2点は1815年に別荘から移され、現在はともにウフィツィ美術館が所蔵する。
画面の読み解き
画面中央で、ヴィーナスが大きな帆立貝の上に立つ。左からは西風の神ゼフュロスが、腕に抱いた女性とともに息を吹きかけ、女神を岸へ送る。女性はそよ風を擬人化したアウラとされるが、花の精クロリスとする説もある。二人の周りに舞うバラは春の訪れを告げる。右の岸では、花模様の衣をまとった女性が、花を散らした外衣を広げて女神を迎える。季節の女神ホーラのうち春をつかさどる一人と考えられ、三美神の一人とする見方もある。
ヴィーナスは、両手で胸と下腹部を隠す古代彫刻「恥じらいのヴィーナス(ウェヌス・プディカ)」の型にならう。しかし体の重心は片脚に寄りすぎ、首や胴は長く引き伸ばされて、地に立つというより浮かんでいるように見える。人物はほとんど影を落とさず、波は規則的な模様で描かれ、風景も人物の大きさと釣り合わない。ボッティチェッリは現実の空間を再現するより、輪郭線の流れと形のリズムで理想の美をあらわそうとした。
「誕生」という題は19世紀以降の通称で、描かれているのは、生まれた女神がキプロス島(またはキュテラ島)に上陸する場面である。古代ギリシャの『ホメロス風讃歌』には、西風に運ばれてキプロスに着いた女神をホーラたちが迎え、衣を着せる一節があり、メディチ家の宮廷詩人アンジェロ・ポリツィアーノの詩とともに主題の源とされる。肉体の美を通して精神の美へ向かうという新プラトン主義の思想を読み込む解釈も知られるが、どこまで当てはまるかには議論がある。
技法・様式
2枚の布を縫い合わせたキャンバスに、青みを帯びた地塗りを施して描かれている。同じ別荘にあった《春》が板に描かれたのに対し、キャンバスは15世紀に邸宅を飾る装飾画によく用いられた、比較的安価な支持体だった。女神の髪や風の神の翼、貝や木々には金が施され、光のきらめきをあらわす。一方、翼や木の葉の緑の顔料は時とともに暗く変色し、海や空の青も本来の明るさを失っている。
陰影を抑え、明快な輪郭線で形をくくる描き方は、師フィリッポ・リッピから受け継いだものである。線遠近法による奥行きや量感の表現を追い求めた同時代のフィレンツェ絵画の中で、線そのものの美しさを優先した点に、ボッティチェッリの独自の位置がある。
意義
ボッティチェッリの名声は没後長く陰に隠れ、19世紀後半に英国のラファエル前派や批評家たちによって再評価された。以後、本作はルネサンスの理想美を象徴する図像として広く知られるようになる。工房では女神の姿だけを描いた作品も作られ、トリノのサバウダ美術館などに残る。2002年からはイタリアの10セント硬貨にヴィーナスの顔が刻まれ、アンディ・ウォーホルの版画をはじめ、現代の美術や広告にも繰り返し引用されている。