《東方三博士の礼拝》
崩れた石積みの前で聖母子を礼拝する三博士と、その随行者たち。並ぶ顔の多くはフィレンツェの実在の人物で、三博士にはメディチ家の三代が当てられている。画家自身も右端にいるとされる。
概要
《東方三博士の礼拝》(伊: Adorazione dei Magi)は、サンドロ・ボッティチェッリが1470年代に描いた祭壇画である。縦111センチ、横137センチの板絵で、画材はテンペラ。フィレンツェのウフィツィ美術館が所蔵する。福音書の場面を、メディチ家が実権を握っていた当時のフィレンツェ社交界の行列に置き換えた、初期ルネサンスの代表作の一つである。
来歴
注文主は両替商のガスパーレ・ディ・ザノービ・デル・ラーマで、1469年に設けたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の自らの葬礼用礼拝堂を飾るために描かせた。そのため《ザノービ祭壇画》とも呼ばれる。のちにメディチ家の所有となり、1587年にはドン・アントニオのコレクションに記録されている。1796年、メディチ家のポッジョ・インペリアーレ荘からウフィツィへ移された。受入番号は1890年目録の882。制作年について館は1470〜1475年とするが、研究では1475〜1476年頃とされることが多い。
画面の読み解き
聖母子は崩れかけた石積みを背に高く座り、その手前で三博士が順に礼拝する。館の解説では、最年長の博士がコジモ・デ・メディチ、続く2人がその子ピエロとジョヴァンニにあたる。右手の黒と赤の衣の若者がロレンツォ・イル・マニフィコ、手前の一人が弟ジュリアーノとされる。三博士に擬された三人は制作時にはすでに世を去っており、フィレンツェは事実上ロレンツォの手にあった。白髪で水色の衣をまとい、こちらを見て自らを指さす老人が注文主のデル・ラーマである。右端で黄色いマントを着て鑑賞者と目を合わせる金髪の若者は、画家自身の自画像と考えられている。
技法・様式
館は画材を油を含む「テンペラ・グラッサ」と記す。大勢の人物を横長の画面に収めながら、正面・横顔・斜め・うつむきと顔の向きを変え、身ぶりと視線で群れを小さなまとまりに分けている。衣の襞や金具の細部までを均質に描き込む仕上げには、この時期のボッティチェッリが学んだ初期フランドル派の描写の影響が指摘される。
意義
ヴァザーリは『美術家列伝』でこの絵を取り上げ、顔の向きや表情の多様さを「画家が技術を完全に修めていることを示す」と称えた。本作の成功で画家はメディチ家周辺の注文を集めるようになり、のちの《ヴィーナスの誕生》へ続く道が開かれる。宗教画の形を借りて同時代の有力者を並べるという構図は、以後のフィレンツェ絵画に繰り返し現れた。