
《取り持ち女》(1656年、ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館)の左端の男。画家の自画像とする説がある
Wikimedia Commons / アルテ・マイスター絵画館 / Public domain- 生没年
- 1632–1675年
- 国籍
- ネーデルラント連邦共和国
- 様式
- オランダ黄金時代の絵画
ヨハネス・フェルメール
1632年にデルフトで生まれ、1675年に同地で没したオランダ黄金時代の画家。窓から差す柔らかな光のなかで、手紙を読み、楽器を奏でる人々の静かな室内を描いた。現存する作品は35点ほどにすぎない。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1632年10月、デルフトに生まれた。父は絹織物職人で、宿屋と画商も営んだ。修業の経緯は不明である。1653年4月にカタリーナ・ボルネスと結婚、同年12月に同地の聖ルカ組合に親方として登録された。妻の母マーリア・ティンスの家に住み、多くの子に恵まれたが、1672年のフランス軍侵攻で美術市場は冷え込み、画商の仕事も行き詰まる。1675年12月、43歳で没し、家族に多額の借金が残された。
様式の変遷
初期には《マリアとマルタの家のキリスト》や《ディアナとニンフたち》(ともに1655年頃)など、大きな人物の宗教画・神話画を描いた。1650年代後半からは、室内の少数の人物を描く風俗画に転じる。左の窓から差す光が壁や布、肌を移ろう様子を点状のハイライトや細かな色の粒で描き、高価なウルトラマリンを惜しまず用いた。遠近の正確さからカメラ・オブスクラの使用を唱える説もある。
代表作
《聖プラクセディス》(1655年、国立西洋美術館)は帰属作とされる最初期の作品である。ほかに、《牛乳を注ぐ女》(1660年頃、アムステルダム国立美術館)、《青衣の女》(1663年頃、同)、《デルフト眺望》(1660〜1661年頃)と《真珠の耳飾りの少女》(1665年頃、ともにマウリッツハイス美術館)、《真珠の首飾りの女》(1663〜1665年頃、ベルリン絵画館)、《絵画芸術》(1666〜1668年頃、ウィーン美術史美術館)、《天文学者》(1668年、ルーヴル美術館)がある。
影響
生前はデルフトで一定の評価を得たが、没後は長く忘れられた。1860年代にフランスの批評家トレ=ビュルガーが再評価し、「デルフトのスフィンクス」と呼ばれるようになる。2023年のアムステルダム国立美術館の回顧展に28点が集まり、史上最大のフェルメール展となった。