《デルフト眺望》
- 作者
- ヨハネス・フェルメール
- 制作年
- 1660–1661年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 96.5 × 115.7 cm
- 所蔵
- マウリッツハイス美術館
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- オランダ黄金時代の絵画
港の水面の向こうに、城門と赤い屋根の家並みが横たわる。手前の岸と建物は暗い雲の影に沈み、その奥では、家々の屋根と新教会の塔が朝の日を浴びて明るく輝いている。
概要
《デルフト眺望》(蘭: Gezicht op Delft)は、ヨハネス・フェルメールが1660〜1661年頃に描いた油彩画である。縦96.5センチ、横115.7センチのキャンバスで、ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵する。画家が生まれ、没したオランダの町デルフトを、南の端の港越しに描いた。室内の情景で名高い画家が、故郷の町並みそのものを主題にした作品で、所蔵館は17世紀オランダ美術で最も名高い都市風景画とする。
画面の読み解き
所蔵館によれば、手前は町の南の端にある三角形の港コルクで、見る人の背後の右手からは、ロッテルダムやスヒーダムへ向かう運河スヒー川が延びる。水の向こうには、左に城壁の一部、右にスヒーダム門とロッテルダム門が並び、そのあいだの建物の上に新教会の塔がそびえる。動くものは何もなく、船はみな岸につながれて帆を下ろし、風はほとんどない。木々は葉を茂らせて季節は晩春か夏、太陽が東にあることから朝とわかる。人の姿は脇役で、手前の岸で二組の人々が話し込み、スヒーダム門の前の岸辺には、見分けられないほど小さな人影が歩く。いちばん手前の雲は暗く、その影が岸と水面、対岸の手前の建物に落ちる一方、町の奥の屋根と新教会の塔は明るい日を浴びている。開いた鐘楼の窓からは空が透けて見え、塔にはまだ鐘がない。
技法・様式
所蔵館によれば、この強い明暗の対比は画家の独創で、見る人の目は暗い雲の下をくぐり、光の当たる町の奥へと自然に導かれる。画家は構図の均衡と静けさを求めて、現実に少し手を加えた。この場所を描いた地誌的な素描と比べると、実際の建物はもっと雑然と並び、家並みの輪郭はぎざぎざで、建物のすきまからは向こうの景色がのぞいていた。絵では二つの門のあいだの橋が実際より長くまっすぐになり、ロッテルダム門とその付属の建物は水面近くまで低く描かれ、遠くを見通せたはずの橋の上のすきまは木々でふさがれている。こうして、水、町、空の三つの水平の帯が強調された。オラニエ公ウィレムの墓がある新教会の塔も、実際よりいくらか中央寄りに移され、日の光を一身に浴びる。質感の描き分けにも工夫がある。右手の明るい黄色の屋根では、下塗りに鉛白の粗い粒を用いてざらついた面を表し、日を浴びた新教会の塔の最も明るい部分には、鉛錫黄をなめらかに厚く置いて(インパスト)、絵具で形を作るように仕上げた。ロッテルダム門のそばの船の胴には小さな絵具の点を無数に置き、離れて見ると、きらめく水の照り返しに見える。
来歴
所蔵館によれば、アムステルダムの鐘鋳造師ヘモニーが新教会の塔に鐘を吊るしたのは1660年5月から1661年秋にかけてで、画家がこの絵を描いていた時期に当たる。デルフトの収集家ピーテル・ファン・ライフェンが1674年より前に持っていたとみられ、その妻、娘マフダレーナとその夫ヤーコプ・ディシウスへと伝わったと考えられている。1696年5月16日、アムステルダムで開かれたディシウスの競売に出品された。1805年より前にはハールレムのコプス家にあり、1822年5月22日のアムステルダムの競売で同館のために買い取られた。所蔵番号92。現在は第15室に展示されている。
意義
所蔵館によれば、本作は描かれた当初から美術愛好家に強い印象を与えた。18世紀から19世紀初めには、画家の名は広く知られず、作品はほかの画家の作とされることも多かったが、19世紀半ば、フランスの批評家トレ=ビュルガーの著作をきっかけに名声が高まっていく。作家マルセル・プルーストは、1902年10月にマウリッツハイス美術館で、1921年5月にはパリのジュ・ド・ポームで開かれたオランダ絵画展で本作を見て、「世界で最も美しい絵」と呼んだ。『失われた時を求めて』の第5篇では、病んだ作家ベルゴットが同じ展覧会を訪れ、この絵の前で感動に打たれて心臓の発作で死ぬ場面を描いている。