
《自画像》1659年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
Wikimedia Commons / ワシントン・ナショナル・ギャラリー / Public domain- 生没年
- 1606–1669年
- 国籍
- ネーデルラント連邦共和国
- 様式
- オランダ黄金時代の絵画
レンブラント・ファン・レイン
1606年にライデンで生まれ、1669年にアムステルダムで没したオランダ黄金時代の画家・版画家。劇的な明暗と人間の内面に迫る表現で、肖像画、聖書画、自画像に多くの傑作を残した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1606年7月15日、ライデンの粉屋の家に生まれた。ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフに学び、アムステルダムの歴史画家ピーテル・ラストマンのもとでも半年学んだ。1625年にライデンで独立した。1631年にアムステルダムへ移り、肖像画家として成功する。1634年に従妹サスキアと結婚し、1642年に先立たれる。1656年に破産し、家と収集品を手放した。内縁の妻ヘンドリッキェと息子ティトゥスにも先立たれ、1669年10月4日に没した。
様式の変遷
ライデン時代にはラストマンにならった小型で細密な物語画を描き、早くから光の扱いに関心を示した。1630年代には、強いキアロスクーロを用いた聖書画や神話画と、依頼による肖像画を数多く手がけた。《夜警》の後、劇的な明暗は次第に抑えられ、落ち着いた色調に移る。1650年代からは、絵具を厚く盛るインパストと大まかな筆で形をあらわし、細密な仕上げを好む流行から離れた。
代表作
《テュルプ博士の解剖学講義》(1632年、マウリッツハイス)、《ガリラヤの海の嵐》(1633年)、《アクタイオンとカリストのいるディアナとニンフの水浴》(1634年頃、アンホルト水城)、《ダナエ》(1636年、エルミタージュ美術館)、《夜警》(1642年、アムステルダム国立美術館)、《ユダヤの花嫁》(1665〜1669年頃、同)、《放蕩息子の帰還》(1668年頃、エルミタージュ美術館)がある。ほかに300点近い銅版画がある。
影響
工房に多くの弟子が集まり、フェルディナント・ボル、カレル・ファブリティウスらが師の様式を広めた。弟子の作は師とよく似ており、1968年に始まったレンブラント・リサーチ・プロジェクトで、真筆とされる油彩は約300点に絞られた。後の画家たちを引きつけ、フィンセント・ファン・ゴッホも《ユダヤの花嫁》に受けた感動を書き残した。