《テュルプ博士の解剖学講義》
- 作者
- レンブラント・ファン・レイン
- 制作年
- 1632年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 169.5 × 216.5 cm
- 所蔵
- マウリッツハイス美術館
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- オランダ黄金時代の絵画
解剖台に横たわる男の遺体の前で、黒い帽子の医師が鉗子で左腕の筋をつまみ上げ、もう一方の手を掲げて講義する。周りに集まった外科医たちは、身を乗り出して見入っている。
概要
《テュルプ博士の解剖学講義》(蘭: De anatomische les van Dr. Nicolaes Tulp)は、レンブラント・ファン・レインが1632年に描いた油彩画である。縦169.5センチ、横216.5センチ。デン・ハーグのマウリッツハイス美術館が所蔵する。アムステルダムの外科医組合で解剖学の講師を務めたニコラース・テュルプ(1593〜1674年)が、組合員の前で遺体の腕を解剖してみせる場面を描いた集団肖像画である。所蔵館によれば、ライデンからアムステルダムへ移って間もない画家が手がけ、肖像画家としての名を確かなものにした。オランダ黄金時代の絵画を代表する作品の一つである。
画面の読み解き
画面の下半分を斜めに横切って、青白い男の遺体が解剖台に横たわり、腰に白い布がかけられている。右に座るテュルプは黒い服に白い襟をつけ、ただ一人つばの広い黒い帽子をかぶる。右手の鉗子で遺体の左の前腕の赤い筋をつまみ上げ、左手を胸の前に掲げて指を曲げてみせる。左半分には、ひだ襟をつけた7人の外科医がピラミッドのように重なり合う。遺体をのぞき込む者、テュルプの顔を見つめる者、画面の外へ目を向ける者と、視線は一人ひとり違う方向へ向かう。奥の男が掲げる紙には腕の素描が見える。右下には大きな本が開いて立てかけられ、テュルプの背後には貝殻形の飾りのある壁龕がのぞく。奥の壁の上部中央に「Rembrant」の署名と1632年の年記がある。
技法・様式
所蔵館によれば、アムステルダムの外科医組合は1555年から公開の解剖を行い、レンブラントの時代には町の計量所の建物にある解剖劇場を会場とした。講師が講義し、学生や一般の人々も料金を払って見学した。腹部から始めるのが通例だったが、テュルプは腕と手の解剖から始める姿で描かれている。所蔵館は、ヴェサリウスの解剖書『人体の構造について』(1543年)の扉絵に、解剖した腕を手にする著者の肖像があることから、テュルプがこの先人にならおうとした可能性を指摘する。組合の部屋にはすでに1603年、1619年、1625年の解剖図が掛かっていたが、レンブラントは人物を横一列に並べて正面を向かせる慣例を捨て、ピラミッド形の配置で群像に動きをもたせた。最上段のフランス・ファン・ローネンも初めは帽子をかぶっていたが、画家が塗り消している。
来歴
所蔵館によれば、テュルプは1628年に講師となり、1631年から1650年までに9回の公開講義を行った。本作は1632年1月の講義を記念して、費用を分担した組合員とともに描かせたものである。遺体は、強盗の罪で絞首刑となったアドリアーン・アドリアーンスゾーン、通称アーリス・キント。作品は計量所の組合の部屋に掛けられ、1798年からは組合の寡婦基金が所有した。1828年に基金が競売にかけようとしたとき、国王ウィレム1世が勅令でこれを止め、国が3万2000ギルダーで買い取ってマウリッツハイスに収めた。所蔵番号146。
意義
X線調査で、遺体の右手は初め手首から先のない形に描かれていたことがわかった。所蔵館は、常習の盗人だった男が以前の刑で手を失っていたためと考え、画家が実際に解剖に立ち会った証しとみる。18世紀初めには人物に番号がふられ、奥の男の紙に名前が書き加えられたが、近年の修復で紙の上の加筆は除かれた。講義の一瞬の緊張をとらえた本作は、10年後の《夜警》へ続く、レンブラントの集団肖像画の出発点となった。