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《僧としてのレンブラントの息子ティトゥス》

Rembrandts zoon Titus in monniksdracht
《僧としてのレンブラントの息子ティトゥス》レンブラント・ファン・レイン
Wikimedia Commons / アムステルダム国立美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
レンブラント・ファン・レイン
制作年
1660年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
79.5 × 67.7 cm
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暗い背景の前で、とがった頭巾つきの茶色い僧衣をまとった若者が、首をかしげて目を伏せている。光は頭巾の陰の顔にだけ当たり、まわりの岩や茂みはおぼろげにしか見えない。

概要

《僧としてのレンブラントの息子ティトゥス》は、オランダの画家レンブラント・ファン・レインが1660年に描いた油彩の肖像画で、アムステルダム国立美術館が所蔵する。館の記録では、カンヴァスに描かれ、縦79.5センチ、横67.7センチ。画面には「Rembrandt f. 1660」の署名と年記がある。所蔵番号はSK-A-3138で、館の「名誉の間(Gallery of Honour)」に展示されている。館の旧題は「修道士の衣をまとったレンブラントの息子、アッシジの聖フランチェスコに扮したものか」だった。

画面の読み解き

館の解説によれば、レンブラントは息子ティトゥスを、目を伏せ、フランシスコ会の修道服を着た姿で描いた。この修道会の会則は清貧と謙遜の生活を定めており、粗い僧衣と、少年の痩せた顔に浮かぶ内省的なまなざしがそれを示している。画家はその顔にすべての注意を注ぎ、岩や茂みのあるまわりの景色は大まかにほのめかすだけにとどめた。画面では、とがった頭巾をかぶった若者が、首を左へかしげて目を落とし、口もとをわずかにゆるめている。光は頭巾の陰の顔と襟もとに集まり、左右の暗がりには木の葉がかすかに浮かぶ。

技法・様式

日本語版ウィキペディアは、館の1995年の名品集を典拠に、ティトゥスが着ているのはフランシスコ会から分かれたカプチン会の修道服であり、レンブラントはおそらく息子をモデルにアッシジの聖フランチェスコを描こうとしたのだろうとする。同記事によれば、僧衣は画家にとって描く技術の上での関心から選ばれたものでもあり、レンブラントは厚い羊毛の手ざわりをさまざまな茶色の調子で描き分けた。2020年に本作を借りて展示したアメリカのワズワース・アテネウム美術館は、本作を、人の感情を表すための劇的な明暗の扱い、すなわちキアロスクーロで特に評価されるレンブラント晩年の作品の典型としている。

来歴

館の来歴によれば、本作は1780年にパリのジャン=フランソワ・サネの売立てに出た「半身のカプチン会修道士」や、1786年のシャルル・ポール・ヴィアラール・ド・サン=モリスの売立ての「瞑想する修道士」にあたる可能性がある。1800年にはサンクトペテルブルクのアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ストロガノフ伯の収集にあり、目録には「聖フランチェスコの衣をまとった若い男の肖像」と記された。その後ストロガノフ家に伝わったが、1917年にソヴィエト連邦に接収された。1933年、ロンドンの画商コルナギの仲介により、同じく1660年に描かれたレンブラントの《聖ペテロの否認》とあわせて80万ギルダーで、館のためにレンブラント協会に売られた。館への購入は1933年7月10日である。日本語版ウィキペディアは、接収後にモスクワのプーシキン美術館に移されたとしているが、館の来歴にはその記載はない。

意義

ワズワース・アテネウム美術館によれば、ティトゥスは1641年に生まれた、レンブラントと最初の妻サスキアの4番目の子で、ただ一人成人した子だった。本作は、破産から立ち直り、画家としての仕事を立て直そうとしていた晩年の重要な時期に描かれた。日本語版ウィキペディアによれば、ティトゥスはおそらく父から画家の訓練を受けたが、レンブラントの絵では画家としてではなく、書いたり読んだり話したりする姿で描かれ、歴史画や聖書・神話の場面のモデルにもしばしばなった。同記事は、ティトゥスが実際にカプチン会の修道士だったわけではなく、プロテスタントの国でカトリック教徒に囲まれて暮らしたレンブラントが、息子をこの姿で描くことで彼らへの共感を表したとしている。