- 時期
- 1847–1874年
- 地域
- フランス(パリ)
- 時代
- 写実・印象派
ネオ・グレック
1847年のパリのサロンで注目された、フランスの若い画家たちの一派。ジェロームを中心に、古代ギリシアの人々の日常の一場面を、考古学的な正確さと明るい色、なめらかな仕上げで描いた。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
ネオ・グレック(仏: néo-grec、「新しいギリシア風」の意)は、1847年のサロンを機に名が知られるようになった、フランスの若い画家たちの集まりを指す。オルセー美術館の2010年のジェローム展によれば、古代ギリシアの新しい見方に熱中した若い画家たちが、1847年からパリのフルリュス通りで顔を合わせるようになり、正式な団体としてではなく生まれた。美術史家エレーヌ・ジャゴの博士論文(パリ第10大学、2013年)は、この画派を1847年から1874年にかけての現象として扱う。同論文によれば、その中心はポール・ドラローシュとシャルル・グレールに学んだ1825年前後生まれの画家たちで、1846年から1863年にかけて共同のアトリエに集まっていた。
造形上の特徴
オルセー美術館は、その様式の特徴を、細部まで仕上げる好み、明るい色調、なめらかな絵肌とする。神話や古代史の大きな場面よりも、古代の人々の日常の一こまを、考古学的な正確さを重んじて描いた。風俗画と歴史画を混ぜ合わせたこの描き方は、相容れない分野を混ぜるものとして批判も受けた。ジャゴは、彼らがロマン主義から受け継いだ「ピトレスク(絵になる趣)」と「地方色」の考えを古代の絵画に持ち込み、その刷新をめぐる議論を呼んだとする。
代表画家と代表作
中心にいたのはジャン=レオン・ジェロームで、ジャゴによれば、ジャン=ルイ・アモンやアンリ=ピエール・ピクーらが同じ一派に数えられる。出発点となったのは、ジェロームの《闘鶏をする若いギリシャ人》(1846年、オルセー美術館)である。1847年のサロンでテオフィル・ゴーティエがこの絵に熱中し、ジャゴによれば、この風俗画が「ネオ・グレック」と呼ばれる画家たちの名声の始まりとなった。
前後の流派との関係
見かけは新古典主義のように古典的だが、ジャゴは、実際には意図してアカデミスムに背を向けた絵画で、批評家たちはその狙いをつかみかねたとする。また、批評がこの一派を形づくったことに、画派の成立や画家の経歴に対する批評の影響の高まりを見る。ジェロームはのちに国立美術学校の教授となり、アカデミック美術の中心的な画家の一人となった。