
《自画像》1815年、プラド美術館
Wikimedia Commons / プラド美術館 / Public domain- 生没年
- 1746–1828年
- 国籍
- スペイン
- 様式
- ロマン主義
フランシスコ・デ・ゴヤ
1746年にスペインのアラゴン地方で生まれ、1828年にフランスのボルドーで没した画家・版画家。宮廷画家として華やかな肖像を描く一方、戦争と社会の闇を見つめた作品で、近代絵画の扉を開いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1746年3月、アラゴン地方の村フエンデトドスに生まれた。サラゴサで画家ホセ・ルサンに学び、1771年にはイタリアを訪れている。1775年ごろからマドリードの王立タペストリー工場のために下絵を描き、1786年に国王の画家、1799年には首席宮廷画家となった。1793年ごろの重い病で聴覚を失う。1808年にナポレオン軍がスペインに侵攻すると、続く戦争の時代をマドリードで過ごした。晩年は郊外の「聾者の家」と呼ばれた自宅の壁に《黒い絵》を描き、1824年にフランスへ移って、1828年4月にボルドーで没した。
様式の変遷
初期のタペストリーの下絵では、祭りや遊びに興じる庶民を明るいロココ風の色彩で描いた。宮廷画家となってからは、ディエゴ・ベラスケスに学んだ自由な筆致で王族や貴族の肖像を手がける。《マヌエル・オソーリオ・マンリーケ・デ・スニガの肖像》(1787〜1788年)もその一つである。聴覚を失った後は、版画集《ロス・カプリチョス》(1799年)で迷信や社会の愚かさを痛烈に風刺した。戦争を経て、暴力と死、狂気を正面から描くようになり、最晩年の《黒い絵》では、暗い色と荒々しい筆で悪夢のような世界を描いた。
代表作
《裸のマハ》(1795〜1800年)と《着衣のマハ》(1800〜1807年)、《カルロス4世の家族》(1800〜1801年)、《1808年5月2日、マドリード》と《1808年5月3日、マドリード》(ともに1814年)、《黒い絵》の《我が子を食らうサトゥルヌス》と《砂に埋もれる犬》(ともに1819〜1823年頃、いずれもプラド美術館)がある。版画集《戦争の惨禍》は、没後の1863年に刊行された。
影響
最後の巨匠にして最初の近代の画家と呼ばれる。感情と想像力を解き放った作品はロマン主義の先駆けとなり、エドゥアール・マネは《1808年5月3日》を手本に《皇帝マクシミリアンの処刑》を描いた。20世紀にはピカソやダリも、版画や《黒い絵》から大きな刺激を受けている。