《鰯の埋葬》
仮面をつけ仮装した群衆が、川辺で踊り騒ぐ。中央では白いドレスの二人の女性が踊り、その頭上には、にやりと笑う謝肉祭の神モモスの顔を描いた黒い旗がひるがえる。
概要
《鰯の埋葬》は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが描いた油彩の板絵で、マドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーが所蔵する。アカデミーの収蔵品データベースでは、板に油彩で、縦82センチ、横60センチ。所蔵番号は0676で、制作年を1808年から1812年とする。一方、ゴヤ・エン・アラゴン財団の作品目録は、材料の費用や技法、版画集《妄(ディスパラテス)》との近さから、スペイン独立戦争の後の作とみて、1814年から1816年頃とする。日本語版ウィキペディアによれば、題名は、謝肉祭の終わりに鰯をつけた人形を担いで練り歩き、最後に燃やして葬るスペインの祭りにちなむ。ただし財団の目録は、この祭りでは鰯の死を嘆く司祭や未亡人に扮して黒い服を着る習わしだったことから、本作がその場面そのものを描いているとは言いきれないとしている。
画面の読み解き
館の解説によれば、群衆はマンサナーレス川のほとりで、謝肉祭の神モモスの旗を囲んで酒を飲み、踊って祝っている。その様子は、スナップ写真のような力でとらえられている。画面の中央では、白いドレスに仮面をつけた二人の女性が踊り、聖職者の服のような衣の男と、角のついた黒い全身の衣に髑髏の仮面をつけた男が加わる。財団の目録によれば、左では槍を手にした闘牛士姿の男と、熊のような獰猛な仮面をかぶり、黒い獣の皮をまとった男が、踊り手の一人を脅かしている。目録は、チェーザレ・リーパの『イコノロギア』が狂気を子どもの風車を持つ男で表し、熊を憤怒に結びつけていることを挙げ、ゴヤがそれをスペイン風に描き替えたのかもしれないとする。手前で腕を上げる座った二人や、右で胸に手を当てる白い衣の女性など、笑う仮面のあいだには恐れや不安の身ぶりも見える。
技法・様式
財団の目録によれば、本作は熱帯産のマホガニーの板に描かれ、それは家具の扉を再利用したものだった。館の解説によれば、プラド美術館にある準備素描(所蔵番号4018)では旗に「MORTVS」(ラテン語で「死んだ」)の文字があり、それがゴヤの本作での最初の構想でもあった。その文字は、骸骨とともに、笑うモモスの顔の下に今も見える(ペンティメント)。館は、こうして祝祭の見かけの下から苦さと暴力がのぞき、その表現主義的な力は《妄》(1816〜1817年)にごく近く、〈黒い絵〉(1820〜1823年)を先取りしていると述べる。〈黒い絵〉には《魔女の夜宴》などが含まれる。なお財団の目録は、この素描をゴヤの作とすることに疑問をもつ研究者もおり、レオナルド・アレンサの作とみる説があると記している。
来歴
館の記録によれば、本作はマヌエル・ガルシア・デ・ラ・プラダが1836年の遺言で寄贈し、1839年にアカデミーに入った。館は、ゴヤの死後に作られた財産目録で《仮面の舞踏》と題された作品が、本作にあたるかもしれないとしている。財団の目録によれば、銀行家だったガルシア・デ・ラ・プラダは、アカデミーが今も所蔵する《狂人の家》《村の闘牛》《苦行者の行列》《異端審問の法廷》の4点とともに本作を遺贈した。4点は1812年の財産目録に「祭りと風俗の小品4点」として載るが、本作は載っておらず、4点より大きい。財団はそれでも、5点がいずれも狂気の場面を描き、同じ来歴をもつことから、同じ連作でないとしても明らかに関連する作品だとみている。1885年には、アカデミーの名品を版画で広める『精選絵画集』に、ホセ・マリア・ガルバンの素描と版刻で収められた。
意義
館は、アカデミーが所蔵するゴヤの13点の絵画のなかで、本作を、ゴヤが自由に創意を働かせた5枚の板絵の一つであり、絵画の普遍的な価値の真の典型だと位置づける。近代の表現主義は、街の情景を絵画として扱う大胆さのすべてをゴヤに負っているという。館の収蔵品データベースも、膨大な作品のなかで、自分自身や親しい人のために、まったく自由に構想して描いた作品の申し分のない例と呼ぶ。財団の目録は、魅力的な色彩と謎めいた性格から、ゴヤの生涯で最も高く評価される作品の一つとし、旗の上のモモスのあざけるような顔は、楽しみと狂気の区別がつかずに悲劇へ向かう非理性的な社会の見世物を楽しんでいる、と読む。本作は1994年のアカデミーの名品展と、2008年のプラド美術館の「戦争の時代のゴヤ」展に出品された。