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《1808年5月2日、マドリード》

The Second of May 1808
《1808年5月2日、マドリード》フランシスコ・デ・ゴヤ
Wikimedia Commons / プラド美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
フランシスコ・デ・ゴヤ
制作年
1814年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
268.5 × 347.5 cm
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土煙の立つ街路で、ターバンを巻いた騎兵たちが湾曲した刀を振るい、短刀を握った市民が馬上の兵を引きずり下ろす。中央では白い馬の胸に男が刃を突き立て、足元には倒れた兵士や市民が折り重なる。

概要

《1808年5月2日、マドリード》(西: El 2 de mayo de 1808 en Madrid)は、フランシスコ・デ・ゴヤが1814年に描いた油彩画である。縦268.5センチ、横347.5センチのキャンバスで、マドリードのプラド美術館が所蔵する。館の題は《1808年5月2日、マドリード、または「マムルークとの戦い」》で、日本では《1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘》の名でも知られる。1808年5月2日、フランス軍の占領に対してマドリードの市民が蜂起した日の市街戦を描く。所蔵館によれば、ゴヤがこの出来事を描いた油彩は、翌日の処刑を描く《1808年5月3日、マドリード》と本作の2点だけで、二つは一対の作品として構想された。ロマン主義の先駆けとされるゴヤの戦争画の大作である。

画面の読み解き

土煙と硝煙の立ちこめる街路で、馬に乗ったフランス軍の兵と、短刀や小刀を手にした市民が入り乱れる。ターバンを巻いたマムルーク騎兵たちは、湾曲した刀を振り上げる。中央では、赤い服のマムルークが白い馬から引きずり下ろされ、緑がかった上着の男が白い馬の胸に刃を突き立てる。右上には、真鍮の兜をかぶった竜騎兵の姿も見える。画面の下には、青い軍服の兵士や市民の死体が血を流して横たわり、湾曲した刀が落ちている。奥には、煙にかすむ長い建物の壁面と、丸屋根が見える。人物の多くは顔をゆがめて叫び、誰が勝っているのかも定かでない混乱そのものが描かれている。

技法・様式

所蔵館によれば、ゴヤは民衆の蜂起の激しい市街戦を、ナポレオン軍の精鋭の騎兵、とくに皇帝近衛隊のマムルーク騎兵との戦いに絞って描いた。フランス側には皇后竜騎兵もおり、死者の中には擲弾兵もいる。立ち上がった人々の広がりは、さまざまな地方の服装をした人物の多様さによって示される。場所については、プエルタ・デル・ソル、セバーダ広場、マヨール通り、カレタス通りなど諸説があるが、所蔵館は、ゴヤが王宮を王権の象徴としてそびえさせる位置に戦いを置いたとみる。蜂起した人々は王家への忠誠に動かされ、不在の国王の帰還を戦争のあいだ願い続けていたからである。

来歴

所蔵館によれば、本作は1814年2月、国王フェルナンド7世の帰国を前にした摂政会議の注文で描かれた。大臣フアン・アルバレス・ゲラがゴヤを推し、5月24日に画家の条件が受け入れられた。ゴヤは制作のあいだ、材料と手間の代償として国庫から月1,500レアルを受け取ることになった。「1808年5月2日にかかわる大きな絵」2点の額が1814年11月29日に仕上がったことが、請求書からわかっている。本作はマドリードの王宮に入り、1834年までにプラド美術館に移された。スペイン内戦(1936〜1939年)のさなか、作品を運ぶトラックがベニカルロで事故を起こし、本作と《1808年5月3日》は損傷した。1941年の修復では欠損部が赤いインクで埋められ、画面の関係がわからなくなっていたが、2007〜2008年の修復で古い写真を手がかりに補彩し、空間のまとまりと明るさが取り戻された。所蔵番号P000748。現在は第64室に展示されている。

意義

1808年5月2日の蜂起は、1814年まで続くスペイン独立戦争(半島戦争)の始まりとなった出来事で、所蔵館は本作を「独立戦争の情景」の連作に分類している。国王の帰国に合わせて注文された本作は、王家への忠誠から立ち上がった人々の戦いを記念する歴史画だった。ただし画面には、指揮をとる英雄も勝利の瞬間も描かれず、名もない市民と外国の兵が入り乱れて殺し合う姿が画面を埋める。対の《1808年5月3日》は、のちにエドゥアール・マネが《皇帝マクシミリアンの処刑》の手本とした。