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《裸のマハ》

La maja desnuda
《裸のマハ》フランシスコ・デ・ゴヤ
Wikimedia Commons / プラド美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
フランシスコ・デ・ゴヤ
制作年
1795–1800年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
97.3 × 190.6 cm

フランシスコ・デ・ゴヤが1795年から1800年にかけて描いた油彩画。寝椅子に横たわる裸の女性が、頭の後ろで腕を組み、まっすぐこちらを見つめる。神話の女神ではなく現実の女性として描かれた裸婦で、対になる《着衣のマハ》がある。

概要

《裸のマハ》(西: La maja desnuda)は、フランシスコ・デ・ゴヤが1795年から1800年にかけて描いた油彩画である。白い枕とシーツを重ねた緑の寝椅子に、裸の女性が頭の後ろで腕を組んで横たわり、見る者をまっすぐ見つめている。同じ女性が同じ姿勢で服を着た《着衣のマハ》と対をなし、ともにプラド美術館が所蔵する。のちにロマン主義の先駆けとされる画家の、宮廷画家時代の代表作である。ヨーロッパ絵画で、神話や寓意の装いなしに現実の女性の裸を描いた最初期の作品の一つとされる。

来歴

記録に現れる最初は1800年11月で、スペインの宰相マヌエル・ゴドイの邸宅の収集にあった。ゴドイは、裸婦を描いた絵を集めた私室を設けており、ベラスケスの《鏡のヴィーナス》も所蔵していた。1808年にゴドイが失脚すると、その財産とともに差し押さえられ、1814年には異端審問所に押収された。ゴヤも作品について説明を求められたと伝えられる。1836年からはマドリードのサン・フェルナンド王立美術アカデミーにあり、1901年に《着衣のマハ》とともにプラド美術館に移された。当時の記録では、本作は「ヴィーナス」と呼ばれ、1813年の差押えの目録では、二点がロマの女性(ヒターナ)を描いたものと記されている。

画面の読み解き

女性は、古代彫刻《眠るアリアドネ》にならった姿勢で両腕を頭の後ろで組み、わずかに微笑みながら見る者を見返している。ヴィーナスに付きもののクピドは描かれず、古代風の寝台の代わりに同時代の寝椅子が置かれて、彼女が神話の女神ではないことをはっきり示している。背景は暗く簡素で、光は白い肌と、レースの縁取りのある枕やシーツに集まる。

モデルが誰かはわかっていない。ゴヤが肖像画を描いたアルバ公爵夫人とする俗説が広く知られたが、多くの研究者はこれを退け、ゴドイの愛人ペピータ・トゥドとする説や、複数のモデルを合わせたとする説がある。題名のマハは、対の作品の服装から、マドリードの下町の粋な女性とみなされて後に付けられた呼び名である。

技法・様式

キャンバスに油彩で描かれている。ゴヤは肌の微妙な透明感と明暗の移り変わりを丁寧に描き、筆致のより大まかな《着衣のマハ》とは仕上げが異なる。X線調査では、モデルを隠すために顔を描き直したという説は否定され、体をほとんど修正せずに一気に描いたことがわかった。プラド美術館は、本作を、1797〜1798年ごろに画風が大きく変わる前の、18世紀の美意識にまだ根ざしたゴヤの作品と位置づけている。

意義

背中だけを見せるディエゴ・ベラスケスの《鏡のヴィーナス》やティツィアーノの裸婦の伝統を受け継ぎながら、本作は正面から現実の女性の裸を描き、見る者の視線を受け止めさせた。神話という口実を捨てたこの挑戦は、半世紀以上のちにエドゥアール・マネが《オランピア》で試みる近代の裸婦の先駆けとされる。二点のマハは、ゴヤの作品の中でもっとも広く知られる絵となり、1930年にはスペインで切手の図柄にも採られた。