《オルナンの埋葬》
灰色の空と白い石灰岩の崖を背に、村人たちが掘られたばかりの墓穴を囲む。棺を担ぐ男たち、十字架と司祭、赤い服の聖堂番、黒い服の男たち、白い頭巾の女たちが横一列に並び、手前に白い犬が立つ。
概要
《オルナンの埋葬》(仏: Un enterrement à Ornans)は、ギュスターヴ・クールベが1849年から1850年にかけて描いた油彩画である。縦315センチ、横668センチ。パリのオルセー美術館が所蔵する。画家の故郷であるフランス東部の町オルナンで、村人たちが葬儀に集う場面を描く。画家自身が付けた題は「人物画、オルナンのある埋葬の歴史」(Tableau de figures humaines, historique d'un enterrement à Ornans)。村の人々を等身大で並べたこの大画面は、写実主義の宣言とされる。
画面の読み解き
画面は横に長く、人物はほぼ一列に並ぶ。左端では、黒い帽子をかぶり白い布を肩にかけた男たちが、黒い骨と涙の模様をあしらった白い布の棺を担ぐ。その先で、白い衣の男が十字架を空高く掲げ、聖水の器を提げた侍者の少年と、黒い祭服の司祭が続く。司祭の奥には、赤い服に赤い帽子の二人の聖堂番が立つ。中央の手前では、白いシャツの墓掘りが墓穴の縁に片膝をつき、穴の縁には頭蓋骨がのぞく。右寄りにはフランス革命のころの古い服を着た二人の老人が立ち、その前に白い犬がいる。右半分は黒い喪服に白い頭巾の女たちで埋まり、何人もが白いハンカチを顔に当てて泣く。背景には、灰色の空の下に白い石灰岩の崖が続く。左下に「G. Courbet」の署名がある。
技法・様式
所蔵館によれば、クールベは肌や布地、土、石灰岩の崖の質感を、筆やパレットナイフで厚く置いた絵具で描き分け(インパスト)、「現実の効果」を求めた。筆の跡を残す描き方と深い黒の多用は、なめらかな画肌と透明なグレーズを重んじるアカデミーの技法に反するものだった。所蔵館は構図の手本として、画家がネーデルラントへの旅で見たオランダの大きな集団肖像画と、揺りかごから墓場までの人の一生を描いた民衆版画「エピナル版画」の「人生の階段」を挙げ、人物を墓穴のまわりに組み立てる配置は後者に通じるとする。
来歴
1849年のサロンで《オルナンの食休み》がメダルを得て、以後の出品に審査が免除されたクールベは、1850〜1851年のサロンに、オルナンの暮らしに取材した3点の大作を送った。所蔵館は、その最も重要なものが本作だとする。同じサロンには《石割人夫》も出品された。本作はパリに先立って1850年にオルナン、ブザンソン、ディジョンで展示され、1855年のパリ万国博覧会の際には画家が自ら建てた「レアリスム館」に、1867年の万博の際にも画家の個展会場に並んだ。1877年に画家が没すると妹ジュリエットの手に渡り、1881年に彼女から国へ寄贈される。1882年からルーヴル美術館にあり、1986年にオルセー美術館へ移された。所蔵番号RF 325。所蔵館は2025年、1階の展示室にガラス張りの作業場を設け、来館者が見守るなかで、黄ばんだ古いワニスを除く修復を行った。AFP通信によれば、修復は2025年5月から2026年8月までの15か月に及び、同年9月に報道陣に公開された。
意義
所蔵館は、村人の葬式に歴史上の出来事の扱いを与えたこの題に、絵画の革命を見る。聖書や神話の人物にしか許されなかった等身大で村人を美化せずに描いたことは、何世紀も続いた、歴史画を頂点とするフランス絵画の序列を踏み越えるものだった。服と同じほど赤い顔をした二人の聖堂番は批評家の笑いを誘い、作品は「俗悪な醜さ」「いとわしい卑俗の賛美」と非難された。所蔵館は、そこに農村と働く人々への不信がのぞくとみる。誰の葬式なのかは今もわかっていない。一方、歴史家イヴァン・ジャブロンカの解説(L'Histoire par l'image)によれば、46人の人物はほとんどがオルナンの住人として特定されており、左端には画家の祖父ウドが、泣く女たちの中には画家の妹たちが描かれている。第二共和政がボナパルト派に葬られたことの寓意とみる政治的な解釈もあるが、所蔵館は、確かめるのは難しいとしている。