《エリーザベト・レーデラーの肖像》
青緑の地に東洋の人物や騎馬の武人が浮かぶ背景の前、白いレースの衣をまとった若い女性が正面を向いて立つ。背後には龍や雲の文様を織り出した長い裾が広がり、足もとには橙と桃色の絨毯が敷かれる。
概要
《エリーザベト・レーデラーの肖像》は、オーストリアの画家グスタフ・クリムトが1914年から1916年にかけて描いた油彩の肖像画で、現在は個人が所蔵する。サザビーズの記録では、キャンバスに油彩で、縦180.4センチ、横130.5センチ。右下に「GUSTAV KLIMT」の署名がある。モデルは、クリムトの最も重要なパトロンだったアウグストとセレナ・レーデラー夫妻の娘エリーザベトで、夫妻が1914年に注文し、1916年に手に入れた。同社は本作を、レーデラー家の三代の女性を描いた三点の肖像のうちの二点目とし、クリムトの円熟期の頂点に立つ作品と位置づけている。
画面の読み解き
サザビーズのカタログ・ノートによれば、エリーザベトは画面の中央に正面向きで立ち、まっすぐ落ち着いたまなざしをこちらに向けている。口もとの両脇の小さな線が、無表情な唇をかすかな謎めいた笑みへと持ち上げる一方、手の描き方には落ち着かなさが表れている。背後に広がる長い裾は中国の龍袍(りゅうほう)で、皇帝と宮廷の限られた人々だけがまとった、政治的・社会的な力を表す衣である。龍の形から、清朝末期の光緒年間の袍がもとになったとみられる。周りには東洋の人物たちが配され、左では二人の女性が灯籠を掲げてエリーザベトへの道を照らし、右では橙色の外套の男が剣を鞘に収めて敬意を示す。足もとの橙と桃色の絨毯には、ヨーゼフ・ホフマンのウィーン工房の意匠を思わせる白黒の縁取りと、古代中国の玉を思わせる円が描かれる。
技法・様式
同社のノートは美術史家エミリー・ブラウンの研究を引き、本作が1912年から1918年にかけての社交界の女性の全身像の一つで、床の文様が空間を平らにしつつ奥行きを生む「絨毯の型」と、東アジアの文様の多用という二つの新しさを示すとする。雲を表す霊芝の形は長寿を、桃色や白の蝙蝠は幸運を表す。クリムトは日本の浮世絵や着物、清朝の宮廷衣装などを自ら集め、アトリエに飾っていた。赤外線による調査では、エリーザベトの両脇の低い位置にもう二人の人物が計画されていたことが分かっている。衣装そのものは、ポワレ風の当世のイブニング・ドレスである。
来歴
サザビーズの記録によれば、本作は注文主のレーデラー夫妻の邸にあったが、1938年11月26日にナチス政権下の文化財保護局に差し押さえられ、1939年にウィーン地方裁判所に押収された。1948年に押収が解かれ、エリーザベトの弟エーリヒ・レーデラーに返還された。レーデラー家の他のクリムト作品の多くは押収ののち、戦争の終わりに火災で失われている。その後ニューヨークのセルジュ・サバルスキー画廊を経て、1985年12月に実業家レナード・A・ローダーが入手した。2017年から2025年まではカナダ国立美術館に長期貸与されていた。2025年11月18日、ニューヨークでのサザビーズの競売で、当時クリムトの競売の記録を倍にする2億3640万ドルで落札された。
意義
サザビーズのノートによれば、クリムトは子どものころからエリーザベトを知り、レーデラー家で絵の先生も務めた。エリーザベトは画家を「おじさん」と呼び、1918年の画家の死を、人生で最初の大きな悲しみとして回想している。本作は完成後まもない1917年、第一次世界大戦のさなかにストックホルムのオーストリア美術展に出品された。同社のノートは、16世紀の君主たちが権威を示すのに用いた全身の肖像の伝統を本作に重ね、床と壁を溶け合わせて装飾で埋めつくす平らな空間を、《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II》にも見られる晩年の特徴として挙げている。