
ヴァレンティン・セローフの肖像写真
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1865–1911年
- 国籍
- ロシア
- 様式
- 移動派・芸術世界
ヴァレンティン・セローフ
1865年にペテルブルクで生まれ、1911年にモスクワで没したロシアの画家。レーピンに学び、光のあふれる《桃を持った少女》で名を上げ、室内の情景とともに人物を描く肖像画の名手となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロシア美術館によれば、1865年、ペテルブルクで作曲家で音楽評論家のアレクサンドル・セローフの家に生まれた。パリ(1874〜1875年)とモスクワ(1878〜1879年)でイリヤ・レーピンに学び、1880年から1885年まで美術アカデミーでパーヴェル・チスチャコフに学んだが、修了はしていない。トレチャコフ美術館によれば、1885年からモスクワ近郊アブラムツェヴォのマモントフ家にたびたび長く滞在し、家族の一員のように迎えられた。ロシア美術館によれば、1897年から1909年までモスクワ絵画彫刻建築学校で教え、1898年に帝室美術アカデミーの会員となったが、1905年1月9日のデモ隊への発砲に抗議してアカデミーを離れた。1911年、モスクワで没した。
様式の変遷
ロシア美術館は、すぐれた肖像画家であり、風景画や歴史画、風俗画も描いたとし、室内の情景とともに人物を描く「絵画としての肖像」をよみがえらせたと評する。エッチングやリトグラフ、本の挿絵など、素描と版画の仕事も多い。トレチャコフ美術館によれば、あらゆる分野で才能を見せながら、とりわけ肖像画を好み、1880年代後半に身近な人々を描いた作品で最初の確かな成功を収めた。
代表作
《桃を持った少女》(1887年、トレチャコフ美術館)と、いとこのマリヤ・シモノーヴィチを菩提樹の並木の木陰に描いた《陽を浴びる少女》(1888年、同館)が、初期の代表作である。後者は完成した年にパーヴェル・トレチャコフが画家から買い取った。
影響
ロシア美術館によれば、アブラムツェヴォの芸術家サークルに加わり、移動派(移動展覧会協会)や「芸術世界」などの団体の会員となった。トレチャコフ兄弟のモスクワ市立美術館の評議会の一員も務めている。トレチャコフ美術館は、《桃を持った少女》が、19世紀末から20世紀初めにかけて絵画の言葉を新しくしようとした一世代の志を示したとみる。