
ジョージ・フレデリック・ワッツによる肖像、1871年頃、ナショナル・ポートレート・ギャラリー
Wikimedia Commons / ナショナル・ポートレート・ギャラリー / Public domain- 生没年
- 1828–1882年
- 国籍
- イギリス
- 様式
- ラファエル前派・唯美主義
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ
19世紀イギリスの画家・詩人。1848年にラファエル前派兄弟団を結成した。ダンテの詩や中世の物語に取材し、のちには夢見るような女性の半身像で唯美主義を率いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドンに生まれた。テートによれば、父はイタリアからの政治亡命者の詩人でダンテ研究者、1831年からキングス・カレッジ・ロンドンのイタリア語教授だった。妹クリスティーナはのちに詩人となる。1845年にロイヤル・アカデミーの美術学校の正規の学生となり、1848年にはフォード・マドックス・ブラウンに短く学んだ。同じ年の秋、ウィリアム・ホルマン・ハント、ジョン・エヴァレット・ミレーとラファエル前派兄弟団を結成し、10月にダンテ『新生』の翻訳を終えた。1850年の《エッケ・アンキラ・ドミニ(受胎告知)》が不評だったのちは、公の展覧会にほとんど出さなかった。1860年にエリザベス・シダルと結婚したが、1862年に妻を亡くす。1857年に出会ったジェーン・バーデンは、のちにウィリアム・モリスの妻となり、ロセッティの代表作の多くでモデルを務めた。1869年、妻の棺から詩稿を取り戻し、翌年『詩集』を刊行。1872年に健康を損ない、1882年、ケントのバーチントン=オン=シーで没した。
様式
テートの展覧会「ロセッティ家の人々」の解説によれば、後期の肖像は芸術のための芸術を掲げる唯美主義の理想と新しい美を映し、労働者階級の女性モデルの面影を、ルネサンスの肖像や神話に学んだ幻想的な女性像に変えた。視覚だけでなく触感や音、香りまで感じさせる画面は、描き直しを重ねて形と色の喜びを強める。絵に詩を添えた「二重の芸術作品」も多い。
代表作
テートが所蔵する《聖母マリアの少女時代》(1849年)、《エッケ・アンキラ・ドミニ》(1850年)、妻を『新生』のベアトリーチェとして描いた《ベアタ・ベアトリクス》(1864年頃〜1870年)、ジェーン・モリスがモデルの《プロセルピナ》(1874年)が知られる。
影響
テートによれば、1856年にエドワード・バーン=ジョーンズとモリスに出会い、翌年にはモリスらとオックスフォード・ユニオンの壁画を手がけた。ロセッティはのちに、ラファエル前派よりも影響の大きい前衛の動きとなった唯美主義を率いた。テートは、イギリスの象徴主義を代表する画家の一人にロセッティを挙げている。