
フレデリック・ホリヤー撮影の肖像写真、1882年頃
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1833–1898年
- 国籍
- イギリス
- 様式
- ラファエル前派
エドワード・バーン=ジョーンズ
1833年にバーミンガムで生まれ、1898年にロンドンで没したイギリスの画家。ラファエル前派の第二世代を代表し、中世の伝説に取材した幻想的な絵画と、ステンドグラスやタペストリーの下絵を残した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1833年8月28日、バーミンガムに生まれた。オックスフォード大学のエクセター・カレッジで神学を学び、そこで生涯の友となるウィリアム・モリスと出会う。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの作品に強く引かれ、学位を取らずに大学を去って彼に師事した。1859年と1862年にイタリアを旅し、2度目は批評家ジョン・ラスキンと同行した。1860年にジョージアナ・マクドナルドと結婚し、1861年にはモリスが興した装飾美術の会社に加わった。1877年、グローヴナー・ギャラリーの第1回展に《欺かれるマーリン》などを出して評価を確立した。1885年にロイヤル・アカデミーの准会員となったが1893年に辞し、1894年に准男爵に叙される。1898年6月17日、ロンドンのフラムで没した。
様式の変遷
初期はロセッティにならい、中世の物語を濃い色の水彩で描いた。ラファエル前派の第二世代の中心となり、イタリアで学んだ15世紀の絵画を手がかりに、細長くしなやかな人物、流れるような衣の襞、感情を表に出さない夢見るような顔を特徴とする独自の様式を築く。物語の劇的な場面より、眠りや魅惑、待つことといった動きの止まった瞬間を好んだ。1874年からはモリスの会社の主要なデザイナーとして、「聖杯」の連作をはじめステンドグラスやタペストリーの下絵を多く手がけ、晩年はモリスの印刷所の本に挿絵を描いた。
代表作
《欺かれるマーリン》(1872〜1877年、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー)、《運命の車輪》(1875〜1883年、オルセー美術館)、《コフェチュア王と乞食娘》(1884年、テート・ブリテン)、《アヴァロンのアーサー王の眠り》(1881〜1898年、ポンセ美術館)が知られる。
影響
1878年と1889年のパリ万国博覧会に出した作品は、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌやギュスターヴ・モローに熱く迎えられ、ヨーロッパの世紀末の象徴主義の大きな先駆けとなった。イギリスでは唯美主義を代表する画家の一人である。生地のバーミンガム美術館は、その作品の大きなコレクションをもつ。