
《自画像》1867年、ウフィツィ美術館
Wikimedia Commons / ウフィツィ美術館 / Public domain- 生没年
- 1827–1910年
- 国籍
- イギリス
ウィリアム・ホルマン・ハント
1827年にロンドンで生まれ、1910年に同地で没した画家。ラファエル前派の創立者の一人で、生涯その細密な自然描写を守り、聖地へ赴いて聖書の場面を描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1827年4月2日、ロンドンのチープサイドに生まれた。事務所で働きながら絵を学び、ロイヤル・アカデミーの美術学校でジョン・エヴァレット・ミレーと知り合う。1848年、ミレー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとともにラファエル前派兄弟団を結成した。1854年、聖書の場面を実地で描くためにエジプトとパレスチナへ渡り、以後エルサレムなどに長く滞在する。最初の妻ファニー・ウォーを1866年にイタリアで亡くし、その妹イーディスとは、亡き妻の姉妹との結婚が英国で禁じられていたため、1875年にヌーシャテルで結婚した。1905年に回想録を刊行し、同年メリット勲章を受ける。1910年9月7日にロンドンで没した。
様式の変遷
初期から、白い下地に明るい色を置き、対象を前に細部まで描き込むラファエル前派の方法を貫いた。《目覚める良心》(1853年)では、同時代の室内に道徳的な寓意を細かく埋め込んでいる。聖地に渡ってからは、風景や衣装、光を現地で確かめて描くことにこだわり、死海の岸で描いた《贖罪の山羊》(1854〜1856年)のように、写実と象徴を重ねた宗教画へ向かった。晩年は視力が衰え、画家E・R・ヒューズの助けを借りて大作を仕上げた。
代表作
《世の光》(1851〜1853年、キーブル・カレッジ)、《目覚める良心》(1853年、テート・ブリテン)、《贖罪の山羊》(1854〜1856年、レディ・リーヴァー・アート・ギャラリー)、《神殿で見いだされた救い主》(1854〜1860年、バーミンガム美術館)、《死の影》(1870〜1873年、マンチェスター市立美術館)、《シャロットの女》(1888年頃〜1905年、ワズワース・アセーニアム)が知られる。
影響
ラファエル前派の仲間のうち、結成時の理念を最後まで守り通したのはハントだった。回想録は運動の成り立ちを伝える基本資料となったが、自身の役割を大きく描いたとの批判も受けている。《世の光》は複製版画を通じて英語圏の家庭や教会に広まり、晩年の大きな版は1905〜1907年に英語圏の各地を巡回した。