
《ダヴィデとしての自画像》1508年頃、ブラウンシュヴァイク、ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館。画家の自画像とされる(帰属には異説がある)
Wikimedia Commons / ヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館 / Public domain- 生没年
- 1478–1510年
- 国籍
- ヴェネツィア共和国
- 様式
- ヴェネツィア派 / 盛期ルネサンス
ジョルジョーネ
1477〜1478年頃にカステルフランコ・ヴェネトで生まれ、1510年にヴェネツィアで没した画家。物語よりも気分や詩情を描いた画面で、ティツィアーノとともにヴェネツィア派の盛期を開いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ヴェネツィア内陸の町カステルフランコ・ヴェネトの出身で、名はジョルジョ(ヴェネツィア方言でゾルゾ)。「大きなジョルジョ」を意味するジョルジョーネの名で呼ばれた。生涯については、ヴァザーリの伝記などの断片的な記録しかない。ヴェネツィアでジョヴァンニ・ベッリーニに学んだとされ、1500年頃にはすでに総督の肖像を任されるほどの評価を得ていた。1504年頃には故郷の大聖堂のために祭壇画を描き、1508年には若いティツィアーノらとともにドイツ人商館(フォンダコ・デイ・テデスキ)の外壁のフレスコ画を手がけた。1510年9月、ペストの流行のなかで30代の若さで亡くなった。
様式の変遷
ベッリーニの穏やかな光と色彩を出発点に、輪郭をやわらかくぼかして光と影を溶け合わせる、レオナルドのスフマートに通じる表現を取り入れた。ヴァザーリは、1500年にヴェネツィアを訪れたレオナルドの作品に学んだと伝えている。祭壇画や肖像画のほか、聖書や神話の物語をはっきり語らず、気分や詩情そのものを描いた小さな絵を個人の収集家のために描いた点が新しい。風景は人物の背景にとどまらず、画面全体の雰囲気をつくる主役となった。
代表作
確実な真筆は数点にとどまるとされる。《カステルフランコの祭壇画》(1504年頃、カステルフランコ・ヴェネト大聖堂)、《テンペスタ》(1504年頃、ヴェネツィアのアカデミア美術館)、《ラウラ》(1506年、ウィーン美術史美術館)、《三人の哲学者》(1508〜1509年、同)、そして晩年の《眠れるヴィーナス》(1508〜1510年頃、アルテ・マイスター絵画館)がある。
影響
早い死のため作品は少なく、没後まもなく彼の名が他の画家の作品にも広く冠せられたため、真筆の見極めは今も難しい。一方で、色彩と大気で情感を描く方法は、協力者だったティツィアーノやセバスティアーノ・デル・ピオンボに受け継がれ、ヴェネツィア派の基礎となった。物語よりも情景の詩情を重んじる絵は「ジョルジョーネ風」と呼ばれて同時代に広く流行し、《眠れるヴィーナス》に始まる横たわる裸婦の型は、後の西洋絵画に長く受け継がれた。