
ポール・セザンヌ《パレットを持つ自画像》1890年頃、ビュールレ・コレクション
Wikimedia Commons / ビュールレ・コレクション / Public domain- 生没年
- 1839–1906年
- 国籍
- フランス
ポール・セザンヌ
1839年にエクス=アン=プロヴァンスで生まれ、1906年に同地で没した画家。印象派に加わったのち、自然を量塊としてとらえ直し、画面の構造を組み立てる方法を確立した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1839年1月19日、南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれた。父ルイ=オーギュストは帽子商から銀行家になった人で、家は裕福だった。地元の中学で作家エミール・ゾラと親しくなる。父の意向で1859年に法学部へ進むが絵をあきらめず、1861年4月にパリへ出てアカデミー・シュイスに通い、そこでカミーユ・ピサロと出会った。サロンには落選を重ねる。1872年からピサロとポントワーズやオーヴェール=シュル=オワーズで戸外に並んで描き、暗い色を捨てた。1874年の第1回印象派展と1877年の第3回展に出品するが酷評され、以後はグループから離れて南仏にこもる。1886年に父が没して遺産を受け、同じ年にオルタンス・フィケと結婚した。1895年11月、画商アンブロワーズ・ヴォラールの画廊で初の個展が開かれ、ようやく名が広まる。1906年10月、戸外で制作中に嵐に打たれて倒れ、肺炎により10月22日に没した。
様式の変遷
1860年代の初期には、厚塗りの暗い色でめまいのするような主題を描いた。ピサロと過ごした1870年代前半に色が明るくなり、筆触も細かくなる。1880年代以降は、同じ向きの短い筆触を並べて面をつくり、輪郭よりも色の移り変わりで奥行きを示す方法に落ち着いた。りんごや水差しの静物、サント=ヴィクトワール山、水浴図という限られた主題を何度も描き直し、見えたままの写しではなく、画面の上で釣り合いのとれた構造をつくることを目指した。
代表作
《大水浴図》(1900〜1906年、フィラデルフィア美術館)のほか、《カード遊びをする人々》の連作(1890〜1895年)、《サント=ヴィクトワール山》の連作、《リンゴとオレンジ》(1899年頃、オルセー美術館)が知られる。
影響
1907年のサロン・ドートンヌで開かれた回顧展は、ピカソやブラックに決定的な影響を与え、キュビスムの出発点となった。マティスもセザンヌの水浴図から多くを得ている。「自然を円筒と球と円錐として扱う」という手紙の一節はしばしば引かれ、20世紀の抽象へ向かう道筋を開いた画家として「近代絵画の父」と呼ばれる。