- 時期
- 1884–1900年
- 地域
- フランス(パリ)、ベルギー
本DB収録 5 点
新印象派
Neo-impressionism
1880年代半ばのフランスに生まれた動向。印象派が直感でつかんだ光を、色彩理論にもとづく規則的な点の並置に置き換え、画面を計算によって組み立てようとした。スーラが始め、シニャックが理論を広めた。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
新印象派は、1886年の第8回印象派展にジョルジュ・スーラが《グランド・ジャット島の日曜日の午後》を出したことを起点とする。批評家フェリックス・フェネオンがこの一群を「新印象派」と呼んだ。印象派が屋外での観察と素早い筆で光をとらえたのに対し、彼らはミシェル・ウジェーヌ・シュヴルールやオグデン・ルードらの色彩理論を手がかりに、混色を画布の上ではなく見る者の目のなかで起こそうとした。1884年に発足した独立芸術家協会(アンデパンダン)の展覧会が、その主な発表の場となる。
造形上の特徴
絵具をパレットで混ぜず、純色の小さな点を規則的に並べる点描(分割主義)を用いる。補色を隣り合わせに置いて輝きを高め、画面全体の明度と彩度を計算で配分した。筆触分割を突きつめた方法といえる。主題は行楽地や見世物、港や街路といった同時代の情景だが、人物は輪郭を単純化されて静止し、印象派の偶然性に代えて幾何学的な秩序が与えられる。画面の縁に点描で描いた枠を設けることも多い。
代表画家と代表作
スーラが《アニエールの水浴》(1884年)、《グランド・ジャット島の日曜日の午後》、《サーカス》(1891年)を残し、ポール・シニャックが理論の普及と航海地の連作を担った。年長のカミーユ・ピサロも一時この方法を採っている。ベルギーではテオ・ファン・レイセルベルヘらが受け継いだ。
前後の流派との関係
直接の母体は印象派である。画面を構成として組み立てる姿勢はポスト印象派の一角をなし、純色の並置という発想は20世紀初めのフォーヴィスムや未来派へ引き継がれた。
代表画家ARTISTS
代表作MAJOR WORKS
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