- 時期
- 1905–1908年
- 地域
- フランス
- 時代
- 20世紀
フォーヴィスム
1905年ごろから1908年ごろにかけて、マティスやドランらがフランスで展開した絵画の動き。見たままの色にとらわれない強い色と、荒々しく大胆な筆づかいを特徴とし、20世紀最初の前衛運動とされる。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
フォーヴィスム(仏: fauvisme)は、「野獣」を意味するフランス語フォーヴ(fauve)に由来する名で、1905年ごろからの数年間に、フランスの画家たちが強い色と激しい筆づかいで描いた絵画を指す。メトロポリタン美術館の論考(サビーヌ・リウォルド、2004年)によれば、名づけたのは批評家ルイ・ヴォークセルで、1905年のサロン・ドートンヌでアンリ・マティスとアンドレ・ドランらの作品を見て、新聞『ジル・ブラス』の評で彼らを「野獣」と呼んだ。サンフランシスコ近代美術館によれば、マティスらの作品が並んだ第7室にはルネサンス風の彫刻もあり、ヴォークセルはそれを「野獣たちの中のドナテッロ」と評した。画家たち自身がそう名乗ったわけではない。
造形上の特徴
テート美術館によれば、ドランとマティスが出品したのは、1905年の夏に南フランスの漁港コリウールでともに制作した作品で、しばしば絵具を管から直接使った、自然の見かけにとらわれない大胆な色と、奔放で粗い筆の跡で描かれ、形も単純にされていた。画家たちは19世紀の科学的な色彩理論、とくに補色の対比に関心を寄せた。メトロポリタン美術館は、彼らが伝統的な遠近法を退け、色の面の動きで新しい画面の空間をつくったとする。
代表画家と代表作
メトロポリタン美術館によれば、中心はマティスとドランで、1900年からドランとパリ近郊のシャトゥーで制作していたモーリス・ド・ヴラマンクも主要な一人である。キース・ヴァン・ドンゲン、シャルル・カモワン、アンリ=シャルル・マンギャン、オトン・フリエス、ジョルジュ・ルオーらも加わり、1906年にはジョルジュ・ブラックとラウル・デュフィが続いた。1905年のサロン・ドートンヌで騒ぎの中心となったのが、マティスが妻アメリーを描いた《帽子の女》(1905年、サンフランシスコ近代美術館)である。
前後の流派との関係
メトロポリタン美術館は、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌのポスト印象派と、スーラやシニャックらの新印象派を源とみる。テート美術館は、強い色と即興の筆づかいから表現主義の一形態ともいえ、同じころのドイツの表現主義としばしば比べられるとする。多くの画家にとっては過渡の段階で、1908年までにはセザンヌへの関心から秩序と構造へ向かい、ブラックはピカソとともにキュビスムを生んだ。一方でマティスは、明るく情感のこもった色、単純な形、絵画的な筆の跡を生涯持ち続けた。