- 時期
- 1909–1944年
- 地域
- イタリア
- 時代
- 20世紀
未来派
1909年、イタリアの詩人マリネッティの宣言に始まった芸術運動。過去の文化を激しく否定し、機械や速度、近代都市の躍動とエネルギーを、絵画・彫刻・建築・詩などでたたえた。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
テート美術館によれば、未来派は、近代の世界のダイナミズムとエネルギーを美術にとらえようとした20世紀初めのイタリアの運動である。詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティが1909年2月20日、パリの新聞『フィガロ』の一面に「未来派宣言」を発表して始まった。宣言は、疾走する自動車は《サモトラケのニケ》よりも美しいと述べ、速度という新しい美をたたえた。近代の運動の中でも、過去への攻撃はとりわけ激しかった。同館によれば、イタリアでは過去の文化の重みがとりわけ重苦しく感じられていたためで、宣言は、墓地のように国を覆う無数の美術館からイタリアを解き放つと唱えた。
造形上の特徴
テート美術館によれば、未来派の絵画は、新印象派とキュビスムの要素を用いて、近代の生活の躍動、エネルギー、運動を表す構図を作った。グッゲンハイム美術館によれば、画家たちは1911年にパリでキュビスムに触れて、面を互いに貫き合わせる手法で同時性と運動を描くようになったが、キュビスムの沈んだ色と静かな構図は退けた。勢いのある線と砕けた空間で、見る人を画面の中心に置くことを目指した。近代の大都市と群衆、疾走する車、踊りなどが好んで描かれた。
代表画家と代表作
1910年、ウンベルト・ボッチョーニ、カルロ・カッラ、ルイジ・ルッソロらは「未来派画家宣言」を出し、過去の崇拝と模倣を退けて、科学によって絶えず変えられていく今日の生活をたたえると宣言した。ボッチョーニの《立ち上がる都市》(1910年)は、建設中の都市で巨大な馬と人々がせめぎ合う姿を描き、カッラの《アナーキスト・ガッリの葬儀》(1910〜1911年)は、ミラノの街頭の騒乱を砕けた空間で描いた。バッラは速度を、パリに住んだセヴェリーニは踊りを通して運動を探った。
前後の流派との関係
グッゲンハイム美術館によれば、第一次世界大戦前の「英雄的」な時期に、運動はミラノとローマを越えてフィレンツェなどへ広がり、建築家アントニオ・サンテリアは1914年に未来の都市の構想を描いた。ニューヨーク近代美術館の1961年の発表によれば、1912年のパリの展覧会はヨーロッパを巡回し、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカの前衛に強い影響を与えたが、1915年には主要な画家たちがより伝統的な表現へ向かい、グループは分かれ始めた。テート美術館によれば、イギリスでは渦巻派(ヴォーティシズム)がこれに当たる。大戦後には多くの画家が前衛から離れ、「秩序への回帰」と呼ばれる流れが生まれた。