
カミーユ・ピサロ《自画像》1873年、オルセー美術館
Wikimedia Commons / オルセー美術館 / Public domain- 生没年
- 1830–1903年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 印象派、新印象派
カミーユ・ピサロ
1830年にカリブ海のセント・トーマス島で生まれ、1903年にパリで没した画家・版画家。印象派の中心人物の一人で、8回の印象派展すべてに出品した唯一の画家である。農村の人々の暮らしを描き続けた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
『ブリタニカ百科事典』によれば、1830年7月10日、当時デンマーク領だったカリブ海のセント・トーマス島で生まれた。バーゼル市立美術館の資料によれば、両親はユダヤ系で、1855年にパリへ出る。父の家業を継ぐことも、両親が求めたアカデミックな修業も選ばず、アカデミー・シュイスに通ってクロード・モネやポール・セザンヌ、アルマン・ギヨマンと知り合った。のちに妻となるジュリー・ヴェレーとの間に8人の子をもうける。1872年から1886年まで印象派の仲間をまとめ、8回のグループ展すべてに出品した唯一の画家となった。1884年からはエプト川沿いのエラニーに住み、ここを拠点にルーアンやル・アーヴル、ディエップの港、冬のパリ、息子たちのいるロンドンへ出かけて制作した。1903年11月13日、パリで没した。
様式の変遷
バーゼル市立美術館は、ピサロを、素朴な暮らし、とりわけ田舎の人々の暮らしを描くことに打ち込んだ唯一の印象派の画家とする。画面には人の手で耕された土地が描かれた。1880年代には、ジョルジュ・スーラやポール・シニャック、長男リュシアンらの新印象派の方法を取り入れたが、1890年代には自由な筆づかいに戻った。晩年の10年は、都市と港の大きな連作が中心となる。
代表作
《ルーヴシエンヌの花咲く果樹園》(1872年)、《ポントワーズ近くのオワーズ川の岸辺》(1873年)、《モンマルトル大通り、冬の朝》(1897年)、《エラニーの干し草刈り》(1901年、カナダ国立美術館)がある。
影響
『ブリタニカ百科事典』によれば、セザンヌやポール・ゴーギャンを支えた友人であり師で、多くの人から「ピサロ親父」と呼ばれた。バーゼル市立美術館は、世代の異なる多くの画家が彼の助言を受け、そのうちの何人もが近代美術の旗手になったと述べる。1886年には、新印象派という次の世代の台頭を後押しする役も担った。