
ジョルジュ・スーラ、1888年の写真
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1859–1891年
- 国籍
- フランス
ジョルジュ・スーラ
純色の点を規則正しく並べて画面をつくり、新印象派を始めたフランスの画家。31歳で急逝し、残した油彩の大作は七点にとどまる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1859年12月2日、パリの裕福な家に生まれた。1878年に国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)へ入り、アングルの弟子アンリ・レーマンに学ぶ。翌年からの兵役をはさみ、以後は独学に近い形で色彩の研究を進めた。1884年の独立芸術家協会(アンデパンダン)の設立に加わり、同年に《アニエールの水浴》を出品する。1886年の第8回印象派展に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》を出し、新印象派と呼ばれる動向の中心となった。1891年3月29日、31歳で急逝した。死因は髄膜炎やジフテリアなど諸説あり、特定されていない。
様式
ミシェル・ウジェーヌ・シュヴルールやオグデン・ルードらの色彩理論を手がかりに、絵具をパレットで混ぜず、純色の小さな点を並べる方法を取った。筆触分割を規則化したものといえる。輪郭は単純化され、人物は横向きか正面を向いて静止し、画面は水平と垂直、そして曲線の対比によって幾何学的に組み立てられる。大作の前には無数の素描と油彩の習作を重ね、コンテ・クレヨンによる明暗だけの素描も多く残した。
代表作
《アニエールの水浴》(1884年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884〜1886年、シカゴ美術館)、《ポーズする女たち》(1886〜1888年、バーンズ・コレクション)、《シャユ踊り》(1889〜1890年)に続く最後の大作が、未完のまま残された《サーカス》(1891年、オルセー美術館)である。
影響
理論にもとづいて画面を構成する姿勢は、ポール・シニャックを通じて広く受け継がれ、20世紀初めのフォーヴィスムや未来派の画家たちに色彩の扱いを教えた。短い画業のあいだに残した作品は少ないが、印象派から20世紀の絵画への橋渡しとして位置づけられている。