
ランプソニウス『低地ドイツの著名な画家たちの肖像』(1572年)の肖像版画(ヤン・ウィーリクス作とされる)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1399–1464年
- 国籍
- 南ネーデルラント
- 様式
- 初期フランドル派
ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
1399年頃にトゥルネーで生まれ、1464年に没した初期フランドル派の画家。ブリュッセル市の画家を務め、写実的な細部と深い感情の表現で、15世紀で最も影響力のある画家の一人となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
プラド美術館の百科事典(ホアキン・ヤルサ・ルアセス)によれば、1399年か1400年頃にトゥルネーで生まれた初期フランドル派の画家である。もとの名はロジェ・ド・ラ・パステュールで、父アンリは刃物職人だった。1427年にロベルト・カンピンの工房に徒弟として入り、1432年に親方として独立する。1435年4月21日、妻と2人の子を連れてブリュッセルに移り、翌年3月には市の公式の画家となった。妻イザベル・ホッファールトはブリュッセルの靴屋の娘である。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ブルゴーニュ公フィリップ善良公や外国の君主、市や教会のために仕事をした。百科事典によれば、1450年にはローマの聖年の巡礼のためイタリアへ旅している。1464年に没したことは、トゥルネーの画家組合の記録からわかる。
様式の変遷
プラド美術館の百科事典によれば、師とされるカンピンから形の造形感覚を受け継ぎながら、ヤン・ファン・エイクの理知的な表現とは離れた、際立って感情に訴える芸術をつくった。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、細部の自然主義と、心を揺さぶる悲しみの表現によって国際的な名声を得たとする。同館は、作品の質のばらつきから、工房との共同制作の問題にも触れている。
代表作
《十字架降架》(1443年以前、プラド美術館)がある。プラド美術館の百科事典によれば、1439年から1441年にかけてブリュッセル市庁舎のために正義を主題とする板絵を描いたが、1695年の市庁舎の火災で失われた。ほかに、宰相ニコラ・ロランが創設したボーヌの施療院のための《最後の審判》、カスティーリャ王フアン2世が1445年にミラフローレス修道院に贈った《ミラフローレスの祭壇画》がある。プラド美術館は、《十字架降架》のほか《寄進者のいるピエタ》と《聖母子(デュラン家の聖母)》も所蔵する。
影響
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、15世紀で最も深みがあり、影響力のあった画家の一人とする。プラド美術館の百科事典によれば、その構図は上流階級や市民の感性に深くしみこみ、長く写され、まねされた。同ギャラリーによれば、画家が生み出した肖像と宗教画の型は、16世紀の半ばまで、ネーデルラント、イベリア半島、さらにイタリアでも繰り返された。