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ヤン・ファン・エイクの肖像

《男の肖像(自画像?)》(1433年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)。赤いターバンを巻いた男で、画家の自画像とする説がある

Wikimedia Commons / ロンドン・ナショナル・ギャラリー / Public domain
生没年
1390–1441年
国籍
南ネーデルラント
様式
初期フランドル派
本DB収録 4 点

ヤン・ファン・エイク

Jan van Eyck

1390年頃に生まれ、1441年にブルッヘで没した初期フランドル派の画家。ブルゴーニュ公の宮廷画家として仕え、油絵具を薄く重ねる技法で、宝石や布、光の反射までを驚くほど精緻に描き分けた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

生年と生地の記録は無く、1390年頃、現在のベルギー東部のマースエイクに生まれたとされる。最初の記録は1422〜1424年で、ハーグでホラント伯を兼ねるバイエルン公ヨハン3世の宮廷画家を務めていた。1425年、ブルゴーニュ公フィリップ善良公の宮廷画家兼近侍となり、1429年からはフランドルの商業都市ブルッヘに住んだ。公の信任が厚く、外交の使節も務め、1428〜1429年にはポルトガルに赴いて、公の花嫁となるイザベル王女の肖像を描いている。1432年、兄フーベルトが着手した《ヘントの祭壇画》を完成させた。同じ頃に妻マルフリートと結婚し、1441年7月、ブルッヘで没した。

様式の変遷

写本の細密画の伝統から出発したと考えられる。確実な真筆とされる作品はおよそ20点で、いずれも1432年から1439年のあいだに描かれた。油絵具を薄く何度も重ねる技法を磨き、宝石や金属の輝き、毛皮や布の手ざわり、光の反射までを描き分けた。16世紀のヴァザーリは彼を油彩画の発明者と呼んだが、今日では誇張とされる。自分の名にかけた「我に能う限り(ALS ICH KAN)」の銘が最初に現れるのは1433年の《男の肖像》で、以後、署名や年記とともに額などに記した。

代表作

《ヘントの祭壇画》(1432年完成、聖バーフ大聖堂)、《アルノルフィーニ夫妻像》(1434年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、《宰相ロランの聖母》(1430〜1435年頃、ルーヴル美術館)、《ファン・デル・パーレの聖母子》(1436年、グルーニング美術館)、《ルッカの聖母》(1437年頃、シュテーデル美術館)がある。

影響

生前から北ヨーロッパで高く評価され、その写実と油彩の技法は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンをはじめとする初期フランドル派の画家たちの手本となった。死後も名声は衰えず、15世紀半ばにはイタリアの人文主義者たちも優れた画家として書き留めている。その作品は北方の絵画の出発点に位置づけられている。

代表作MAJOR WORKS

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