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《民衆を導く自由の女神》

La Liberté guidant le peuple
《民衆を導く自由の女神》ウジェーヌ・ドラクロワ
Wikimedia Commons / ルーヴル美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ウジェーヌ・ドラクロワ
制作年
1830年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
260 × 325 cm

硝煙の立ちこめるバリケードの上で、三色旗を高く掲げた女性が後ろを振り返り、人々を率いて進む。銃を構えたシルクハットの男、二丁の拳銃を振り上げる少年が続き、足もとには倒れた者たちが横たわる。

概要

《民衆を導く自由の女神》(仏: La Liberté guidant le peuple)は、ウジェーヌ・ドラクロワが1830年に描いた油彩画である。縦260センチ、横325センチ。パリのルーヴル美術館が所蔵する。館の登録名は「1830年7月28日、民衆を導く自由」で、国王シャルル10世を退位に追い込んだ1830年7月の三日間の市街戦、七月革命を主題とする。原題の「自由」は寓意の人物で、日本では慣習的に「自由の女神」と呼ばれている。ロマン主義を代表する作品であり、フランス共和国を象徴する図像として広く知られる。

画面の読み解き

煙に包まれた市街のバリケードを、フリギア帽をかぶり、胸をあらわにした女性が裸足で越えてくる。右手で三色旗を高く掲げ、左手には銃剣のついた銃を握って、横顔を後ろの人々へ向けている。その左では、シルクハットに黒い上着の男が銃を構え、さらに左で白いシャツの男がサーベルを振り上げる。女性の足もとには、青い上着に赤い帯を締めた男がひざまずき、彼女を見上げる。右では、ベレー帽の少年が両手に拳銃を掲げ、叫びながら駆け出している。前景には、片足にだけ靴下を履いた半裸の男や、軍服の兵士たちの亡骸が折り重なる。右奥の煙の向こうには、ノートルダム大聖堂の塔がのぞく。右寄りの中ほどに、赤い絵具で「Eug. Delacroix.1830」の署名がある。

技法・様式

画面は、旗の先を頂点とし、左右に広がる人々と前景の亡骸を底辺とする三角形にまとめられている。三色旗の赤・白・青は、ひざまずく男の青い上着と赤い帯、白いシャツなど、画面のあちこちで繰り返される。寓意の女性像を同時代の市街戦の群衆の中に置き、目の前の出来事を大画面の歴史画に仕立てた点に、古典の型にとらわれないドラクロワの大胆さがある。2023年9月から2024年4月末までの修復では、2世紀のあいだに重なった8層のワニスと汚れが除かれた。黄色と思われていた女性の服が、金色を帯びた淡い灰色だったこともわかった。学芸員セバスチャン・アラールは、白も影も黄ばんだ層の下で溶け合っていたと述べている。

来歴

1830年10月21日の兄への手紙で、ドラクロワは、現代の主題であるバリケードの絵に取りかかったと書いている。館の記録によれば、同年9月から12月にかけてパリのヴォルテール河岸のアトリエで描かれ、1831年5月から8月のサロンに出品された。同年8月に国が3,000フランで買い上げ、1832年から翌年までリュクサンブール美術館で展示されたが、1832年6月の暴動ののちは、体制を揺るがしかねない絵として人目から遠ざけられたとされる。1839年ごろ画家の手もとに戻され、1848年3月に国が引き取った。1855年のパリ万国博覧会にも出品され、1874年11月にリュクサンブール美術館からルーヴル美術館へ移って、翌年、所蔵番号RF 129で登録された。

意義

右の少年は、ヴィクトル・ユゴーが『レ・ミゼラブル』(1862年)に描いた少年ガヴローシュに影響を与えたとされ、彫刻家バルトルディはニューヨークの《自由の女神像》の着想をこの絵からも得たといわれる。1978年から1995年まで、フランスの100フラン紙幣の図柄にもなった。1999年には「日本におけるフランス年」の催しとして東京国立博物館に貸し出されている。一つの革命の記録を超えて、自由を求める人々の姿そのものを象徴する図像となった作品である。