《十字軍のコンスタンティノープル入城》
炎と煙の上がる都を見下ろす高台で、旗と槍を掲げた騎馬の十字軍の将たちが進む。その足もとで、老人や女性たちがひざまずいて慈悲を乞い、倒れた人々が石畳に横たわる。背後には城壁の町と青い海峡が広がる。
概要
《十字軍のコンスタンティノープル入城》(仏: Prise de Constantinople par les croisés (12 avril 1204))は、フランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワが1840年に描いた油彩画である。縦4.11メートル、横4.97メートルの大画面に、1204年4月、第4回十字軍がビザンティン帝国の都コンスタンティノープルを攻め落とした場面を描く。国王ルイ=フィリップの治世に、ヴェルサイユ宮殿の歴史画廊のために注文された歴史画で、現在はルーヴル美術館が所蔵する。
画面の読み解き
館の解説によれば、教皇インノケンティウス3世の呼びかけで1202年にヴェネツィアを発った十字軍は、政治と金銭の争いから目的を外れ、都を包囲して略奪した。画面の中央を、馬に乗った4人の将が占める。栗毛の馬に乗るのがフランドル伯ボードゥアンで、兜の上の金の獅子の飾りで見分けられる。馬は首を垂れ、地に落ちた矢筒や槍、旗、盾をまたぐ。その足もとには、上半身裸で後ろ手に縛られた捕虜が身を寄せる。手前の右では、胸をあらわにした金髪の女性が、青い外套の瀕死の女性を支える。左では、赤い外套の老人が娘と幼い男の子を差し出して慈悲を乞う。左端の柱廊では兵士がギリシア十字を飾った金のストラ(頸垂帯)を着けた司祭を教会から追い出し、その石段には暴行を受けた女性が倒れ、そばには略奪された宝石箱が開いている。背景には城壁に囲まれた都とボスポラス海峡が鳥瞰で広がり、あちこちから煙が上がる。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれ、右下に「Eug. Delacroix.1840」の署名と年記がある。館の来歴の記述によれば、画家は1840年3月からパリで制作し、遠近法と建築の背景は画家ルイ・ブーランジェが手伝った。1841年のサロンの解説には、陸から攻めたフランス軍を率いたフランドル伯と、海から攻めたヴェネツィア軍を率いた老総督ダンドロのもと、将たちが町をめぐり、嘆く家族が慈悲を乞いに集まる、と記された。
来歴
館によれば、1838年4月30日に王室費の管理局が1万フランで注文し、ヴェルサイユ宮殿の「十字軍の間」の第5室のために描かれた。1841年のサロンに出品したのち、同年にヴェルサイユに据えられた。1855年のパリ万国博覧会にも貸し出され、1876年からはヴェルサイユの「戦闘の回廊」に移された。1885年、パリの国立美術学校でのドラクロワ展への出品を機にルーヴル美術館に移管され、ヴェルサイユには同じ大きさの模写が代わりに掛けられた。1995年からはルーヴルのモリアンの間(第700室)に展示されている。所蔵番号はINV 3821。
意義
館によれば、本作は2025年5月から2026年4月にかけて、ルーヴルの展示室で修復された。画布の補強と張り直しに続き、洗浄、補彩、ワニスの塗り直しが行われた。館の機関誌『グランド・ギャラリー』は、修復の進行とともに「ドラクロワの最も名高い絵の一つの、取り戻された意味」を論じる記事を2025年と2026年に載せている。