《サルダナパールの死》
赤い布をかけた巨大な寝台が画面を斜めに横切り、白い衣の王が頬杖をついて横たわる。足もとでは裸の女たちが殺され、黒人の従者が金の馬具の白馬を引く。床には金の器や宝石が散らばる。
概要
《サルダナパールの死》(仏: Mort de Sardanapale)は、フランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワが1827年に描いた油彩画である。縦3.92メートル、横4.96メートルの大画面で、パリのルーヴル美術館が所蔵する。1827年から1828年のサロンに出品された歴史画で、所蔵館によれば、当時のあらゆる約束事の外にある作品として、最初の公開で物議をかもした。
画面の読み解き
赤い布をかけた巨大な寝台が、左上から右下へ画面を斜めに横切る。寝台の頭のほうには、白い衣とターバンの王サルダナパールが頬杖をついて横たわり、目の前の殺戮を静かに見下ろす。寝台の上には裸の女性がうつぶせに身を投げ出し、寝台の角には金の象の頭の飾りがつく。手前では、ひざまずいた兵士が裸の女性を抱え込み、のけぞった女性の頭上には短剣がかざされる。左手前では、黒人の従者が金の馬具をつけた白い馬を引き据える。床には金の水差しや器、宝石、布が散らばり、右上の奥には煙が立ちこめる。サロンの解説書は、反乱軍に宮殿を囲まれた王が、巨大な薪の山の上の豪華な寝台に横たわり、宦官と宮廷の役人に、自分の楽しみに仕えた女たち、小姓、愛馬や愛犬まで殺すよう命じた場面だと説明した。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、本作は遠近法の規則をあえて無視するなど、当時の約束事から外れている。ドラクロワはこの主題を口実に、体とその肌の色、布、金銀細工、動物、さまざまな物の表面など、自分の好きなものをすべて描いた。3年前の《キオス島の虐殺》のきわめて鋭く、対比の強い冷たい描き方に比べ、本作の線はより官能的で、色はより暖かく豊かである。館は、画家が30歳ですでに、のちに日記に書く「色は主題にふさわしく、想像によって絵の効果を高めるのでなければ、何ものでもない」という考えを実践していたとする。
来歴
所蔵館によれば、1827年の後半に、画材商アロの店が納めた「15ピエ×12ピエ」の画布に描かれ、1828年2月から4月25日までサロンに出品された。画面の左下の角には、サロンの目録番号「1630」の札が今も貼られている。画家は売ることができず、18年手元に置いたのち、1846年にガス灯の事業を営む収集家ダニエル・ウィルソンに6,000フランで売った。1873年の競売で画商ポール・デュラン=リュエルが買い、作品はロンドンやコペンハーゲン、ニューヨークで展示された。持ち主を何度も替えたのち、1921年に男爵ジョゼフ・ヴィッタから70万フランで館に入った。所蔵番号はRF 2346。2022年10月から2023年7月まで修復され、同年9月にモリアンの間へ戻った。
意義
所蔵館によれば、ドラクロワの大作の多くはすぐに国が買い上げたが、本作はほぼ100年を個人の手で過ごした。度重なる移動の傷みのため修復は後回しにされたが、2023年の修復でワニスが薄められ、画家の色の幅が取り戻された。館は、色と素材と質感があふれる画面と、大胆な構成がはっきり見えるようになり、最初の公開で起きたスキャンダルの理由もよくわかるようになったとする。