
ジャック・ル・ブックに帰属する素描の肖像、1550年頃、アラス市立図書館(部分)
Wikimedia Commons / アラス市立図書館 / Public domain- 生没年
- 1450–1516年
- 国籍
- ネーデルラント
- 様式
- 初期フランドル派
ヒエロニムス・ボス
1450年頃にネーデルラントのスヘルトーヘンボスで生まれ、1516年に同地で没した画家。人間と動物、道具を組み合わせた奇怪な生き物や、罪と誘惑の場面を細密に描き、独自の幻想世界を築いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1450年頃、ブラバント公国の商業都市スヘルトーヘンボスに生まれた。本名はイェロニムス・ファン・アーケンで、家はドイツのアーヘンから移ってきた、6代続く画家の一族だった。「ボス」の名は、生まれた町の名の最後の音節からとっている。1477年から1481年のあいだに、やや年上のアレイト・ファン・デ・メールフェンネと結婚した。1486年から翌年にかけて町の聖母兄弟会に入り、1年後には誓約会員となって、その宴にも加わっている。生涯を故郷で過ごし、1516年夏に町を襲った疫病のさなか、8月9日に兄弟会で追悼のミサが営まれた。
様式の変遷
初期フランドル派の細密な油彩の技を受け継ぎながら、宗教画の枠の中に、夢のような風景と奇怪な生き物を大胆に持ち込んだ。聖書の場面や聖人の誘惑、最後の審判を主題に、人間の愚かさと罪、その報いとしての地獄を、無数の小さな人物で埋めつくした画面で描く。明るい色で描かれた楽園と、闇の中に炎が上がる地獄の対比も特徴である。活動の年代を記した作品は残っておらず、画風の移り変わりは研究者のあいだでも議論が続いている。
代表作
三連祭壇画《快楽の園》(1490〜1500年頃、プラド美術館)のほか、《干し草車》の三連祭壇画(プラド美術館)、《聖アントニウスの誘惑の三連祭壇画》(1500年頃、リスボン国立古美術館)、《最後の審判の三連祭壇画》(1490〜1505年頃、ウィーン美術アカデミー)が知られる。ルーヴル美術館の《愚者の船》は、失われた三連祭壇画の翼の断片である。
影響
スペイン王フェリペ2世がボスの作品を熱心に集めたため、今日、スペインには他のどの国よりも多くの真筆が残る。その幻想の画面は16世紀に数多く模倣され、ピーテル・ブリューゲル(父)は「新しいヒエロニムス・ボス」と呼ばれた。20世紀には、夢と無意識を描いたシュルレアリスムの画家たちの先駆者として改めて注目された。