《カステルフランコ祭壇画》
- 作者
- ジョルジョーネ
- 制作年
- 1503–1504年
- 素材
- ポプラ板 / 油絵具
- 寸法
- 200 × 152 cm
- 時代
- ルネサンス
遠くの丘と村を背に、高い玉座の上で赤いマントの聖母が幼子を抱く。玉座の台座には紋章の円盤がはめ込まれ、その手前の市松模様の床では、旗を持つ甲冑の騎士と、褐色の衣の聖フランチェスコが左右に立つ。
概要
《カステルフランコ祭壇画》は、ヴェネツィア派の画家ジョルジョーネが、故郷カステルフランコ・ヴェーネトの聖堂のために描いた祭壇画で、いまも町のカステルフランコ・ヴェネト大聖堂の、内陣の右の礼拝堂に掛かる。市の解説によれば、画家の数少ない確かな作品の一つで、1503年から1504年に描かれたとみられる(1500年頃とする説もある)。ポプラの板を継いだ板絵である。
画面の読み解き
市の解説によれば、風景を背に玉座の聖母子が描かれ、手前の右に聖フランチェスコ、左に聖ニカシウスが立つ。騎士の聖人はかつて聖ゲオルギウスや町の守護聖人の聖リベラーレとされたが、マルタ騎士団(ヨハネ騎士団)の旗を持つことから聖ニカシウスと考えられている。ニカシウスはこの騎士団に属して1187年に殉教し、注文主の故郷メッシーナで聖フランチェスコとともに崇められた。玉座の下の台は、紋章を描いた斑岩の石棺とみられ、聖母と幼子の悲しげな視線はこの石棺に向けられている。
技法・様式
市の解説によれば、ジョルジョーネは色の層を薄く重ねる技法で、ヴァザーリが「素描なしの絵」と呼んだヴェネツィアの色調の絵画を極めた。教会の室内を描く従来の祭壇画の形を捨て、遠くまで広がる野と丘の風景の光の中に、異様なほど高い玉座を置いた点が新しい。遠くの二人の小さな兵士と崩れた塔の村は、苦しみと死を生む戦争を語る。赤いビロードの帳が、聖母子のいる人の営みの世界と、二人の聖人が見る者を見つめる下の聖なる空間を分けている。X線の調査では、幼子の目がはじめ見る者に向けられ、のちに下へ向けて描き直されたことが分かった。
来歴
市の解説によれば、本作はメッシーナ出身の傭兵隊長トゥツィオ・コスタンツォが、ヴェネツィア共和国の遠征中に23歳で病死した息子マッテオを悼み、旧聖堂にある一族の礼拝堂のために注文した。マッテオの浮き彫りのある墓碑には1504年8月の年がある。旧聖堂は1724年に始まる新しい大聖堂の建設で取り壊され、いまの礼拝堂は1935年に整えられた。17世紀から修復が繰り返され、1972年12月10日には盗難にも遭った。2002年から2003年に本格的な修復が行われた。
意義
市立カーザ・ジョルジョーネ美術館の解説によれば、斑岩の石棺は、ローマ皇帝やシチリアの王の墓に使われた石で、キプロスの副王を務めた父をもつコスタンツォ家の高い家柄を示している。私的な礼拝堂だったからこそ、ジョルジョーネは風景を大きく取り込む実験ができたという。同じ画家の作品には《テンペスタ》がある。