
マネのアルバムに収められた肖像写真(フランス国立図書館)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1841–1870年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 印象派(その先駆け)
フレデリック・バジール
1841年に南フランスのモンペリエで生まれ、1870年に普仏戦争で戦死したフランスの画家。モネやルノワールの仲間として、のちの印象派につながる戸外の光の中の人物と風景を描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
『ラルース絵画事典』によれば、モンペリエのプロテスタントの裕福な銀行家の家に生まれた。大学入学資格を得たのち医学を学んだが、ファーブル美術館に通い、隣人の収集家アルフレッド・ブリュイヤスのもとでドラクロワやクールベを知って画家を志した。1862年にパリへ出て、医学を続けながらルーヴル美術館で学び、グレールの画塾に入る。そこでクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーと親しくなった。1870年、志願兵として普仏戦争に出征し、11月にロワレ県のボーヌ=ラ=ロランドで戦死した。
様式の変遷
同事典によれば、イル=ド=フランスやノルマンディーの湿った空の光よりも、面をくっきりと分け影に色をつける南仏の強い光に敏感だった。サロンへの出品作の準備と、一家の領地メリックでの制作に時を分け、メリックは多くの作品の舞台となった。ドラクロワを何よりも敬い、マネやオランダの17世紀絵画、コローにも学んだ。ゆっくりと描き、物の見かけだけでなく重さと量感を伝えようとした。
代表作
オルセー美術館の《ピンクのドレス》(1864年)、《家族の集い》(1867〜1868年)、モンペリエのファーブル美術館の《村の眺め》(1868年)が知られる。1869年のサロンで《村の眺め》を見たベルト・モリゾは、戸外に人物を置くことにバジールが成功したと書いた。
影響
同事典によれば、1867年、サロンから退けられがちな若い仲間たちと共同で展覧会を開く計画を立て、1874年の最初の「印象派」展を先取りした。残る絵は60点ほどで、うち10点がファーブル美術館、5点がオルセー美術館にある。ファーブル美術館は、バジールをルノワールやモネ、シスレーと並ぶ近代絵画の主要な人物とし、その仕事が印象派の成立に大きく貢献したとする。