
《神殿奉献》(1453年頃、ベルリン絵画館)の部分。画家の自画像とされる
Wikimedia Commons / ベルリン絵画館 / Public domain- 生没年
- 1431–1506年
- 国籍
- ヴェネツィア共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
アンドレア・マンテーニャ
1431年にパドヴァ近郊に生まれ、1506年に没したイタリアの画家。40年以上マントヴァのゴンザーガ家の宮廷画家を務め、大胆な短縮法と古代美術への深い関心で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ブレラ美術館によれば、1431年、パドヴァ近郊のイゾラ・ディ・カルトゥーロ(現在のイゾラ・マンテーニャ)の大工の家に生まれた。10歳でパドヴァのフランチェスコ・スクアルチョーネの工房に入り、パドヴァではドナテッロとその周辺や、フランドルとトスカーナの画家たちに接した。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、最初の重要な注文は1448年のパドヴァのエレミターニ聖堂の礼拝堂の壁画である。1453年、画家一族ベッリーニ家のニコローシアと結婚した。1460年にマントヴァ侯ルドヴィーコ2世・ゴンザーガに招かれて移り住み、1506年に没するまで宮廷に仕えた。1484年までに騎士に叙されている。
様式の変遷
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、古代への学識ある関心から人文主義者と親しく交わり、古典の彫刻のように見える描き方を編み出した。9枚の連作《カエサルの凱旋》には、その古代への関心が存分に表れている。ブレラ美術館は、パドヴァ時代の初期の大作から、マントヴァの「夫婦の間」の天井に描いた円窓、《死せるキリスト》まで、画家が大胆な短縮法を試み続けたとする。
代表作
《死せるキリスト》(1483年頃、ブレラ美術館)、妻とともに自身を描いたとされる《神殿奉献》(1453年頃、ベルリン絵画館)、ヴェローナのサン・ゼーノ聖堂の祭壇画、マントヴァのサン・ジョルジョ城の「夫婦の間」の壁画、《カエサルの凱旋》、イザベッラ・デステの書斎のための絵がある。
影響
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、版画も手がけ、自らの図案と名声をイタリアの外へ広めた。ベルリン絵画館によれば、義兄のジョヴァンニ・ベッリーニは約20年後に《神殿奉献》の図案をなぞって同じ主題を描き、マンテーニャもベッリーニの光と風景に学んだ。ブレラ美術館は、短縮法の試みがティントレットやアンニーバレ・カラッチら16〜17世紀の画家に受け継がれたとする。