- 時期
- 1886–1896年
- 地域
- フランス(ブルターニュ地方ポン=タヴァン、ル・プールデュ)
ポン=タヴァン派
1886年から1890年代にかけて、フランス西部ブルターニュの村ポン=タヴァンに集った画家たちの流れ。目に映る光の再現を離れ、濃い輪郭線と平らな色面で、記憶と感情から画面を組み立てることを目指した。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
ポン=タヴァンは、ブルターニュ南部の川沿いにある小さな村である。物価が安く、風景と古い信仰の残る土地として、1860年代から各国の画家が滞在するようになっていた。1886年にポール・ゴーギャンがここに滞在し、1888年にエミール・ベルナールと再会すると、二人の話し合いから新しい描き方が生まれる。目に映るものを写し取る印象派のやり方に飽き足らず、画家の記憶と感情によって画面をつくるという考えであった。1889年、パリ万国博覧会に合わせてカフェ・ヴォルピニで開かれた展覧会が、この一群の最初のまとまった発表となる。
造形上の特徴
濃い輪郭線で囲んだ平らな色面を並べるクロワゾニスムと、対象の細部を切り詰めて要点だけを組み立てる総合主義(サンテティスム)が二本の柱である。陰影と遠近法は抑えられ、画面は装飾的な平面に近づく。色は見たままではなく、感情に従って選ばれる。ブルターニュの民俗衣装、野の風景、村の信仰といった主題が好まれ、日本の浮世絵の平面性からの示唆もしばしば指摘される。
代表画家と代表作
ゴーギャンは《説教のあとの幻影》(1888年、スコットランド国立美術館)と《黄色いキリスト》(1889年、バッファロー AKG 美術館)で、この考え方を目に見える形にした。理論面を担ったエミール・ベルナールは《牧場のブルターニュの女たち》(1888年)を描き、ポール・セリュジエはゴーギャンの助言で描いた小品《タリスマン(護符)》(1888年、オルセー美術館)を持ち帰って、パリの若い画家たちにナビ派を起こさせた。ほかにシャルル・ラヴァル、メイエル・デ・ハーンらがいる。
前後の流派との関係
印象派の光の探究を出発点としながら、その反対の方向へ進んだ点で、ポスト印象派のうちでもとりわけ大きな転回にあたる。平面的な色面と象徴的な主題は、同じ時代の象徴主義と響き合い、セリュジエを介してナビ派へ、さらに20世紀のフォーヴィスムや表現主義へつながった。ゴーギャン自身は1891年にタヒチへ渡り、ここで得た方法を南太平洋の主題に用いていく。