
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの肖像写真
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1849–1917年
- 国籍
- イギリス
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
ギリシア神話とイギリスの詩に題材を求め、水辺や森の女性像を描き続けたイギリスの画家。ラファエル前派の精密な描写を、半世紀後の世代として引き継いだ。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1849年4月6日、ローマに生まれた。両親のウィリアムとイザベラはともに画家で、一家はジョンが5歳のころロンドンのサウス・ケンジントンへ移っている。1870年にロイヤル・アカデミー付属美術学校へ入り、はじめは彫刻を学んだ。1874年の夏季展に《眠りとその異母兄弟の死》を出して注目され、以後ほぼ毎年出品を続ける。1885年に準会員、1895年に正会員となった。1917年2月10日、ロンドンで没した。生涯の油彩はおよそ118点とされる。
様式
初期は古代ローマの情景を主題にしたが、1880年代からはギリシア神話とイギリス文学、とくにテニスンやキーツの詩に題材を求めるようになる。ラファエル前派兄弟団の会員ではなく、結成された1848年にはまだ生まれていないが、草花や水面を細部まで均等に描く方法と、文学的な主題の選び方をその系譜から受け継いだ。人物の輪郭はやや柔らかく溶かされ、頬の紅みや髪の艶には同時代のアカデミーの技法が見える。主題の中心はほぼ一貫して女性の姿だった。
代表作
《エコーとナルキッソス》(1903年、ウォーカー・アート・ギャラリー)のほか、《シャロットの女》(1888年、テート・ブリテン)、《オデュッセウスに杯を差し出すキルケ》(1891年、オールダム・ギャラリー)、《ヒュラスとニンフたち》(1896年、マンチェスター市立美術館)、《人魚》(1900年、ロイヤル・アカデミー)が知られる。
影響
没後しばらくは、モダニズムの台頭とともにヴィクトリア朝絵画全体と一緒に顧みられなくなった。1970年代以降の再評価で人気を取り戻し、今日では複製やポスターを通じて広く親しまれている。2018年には《ヒュラスとニンフたち》が展示室から一時的に外され、女性の姿を描くその主題が今どう受け取られるかをめぐって議論になった。