《ファン・デル・パーレの聖母子》
円柱に囲まれた聖堂の奥で、赤いマントの聖母が玉座に座り、膝の幼子がインコを握る。左には青い祭服の司教、右には白い衣でひざまずく老いた参事会員と、兜を取って彼を引き合わせる甲冑の騎士が立つ。
概要
《ファン・デル・パーレの聖母子》は、ヤン・ファン・エイクが描いた油彩の祭壇画で、ブルッヘのグルーニング美術館が所蔵する。館の記録では縦124.5センチ、横160センチのオーク板で、額を含めると縦148センチ、横184センチ。館は、《ヘントの祭壇画》に次いでファン・エイクの現存する最大の作品とする。元の額の下辺には、ブルッヘの聖ドナトゥス聖堂の参事会員ヨリス・ファン・デル・パーレが画家ヤン・ファン・エイクにこの作品を作らせたこと、1434年の年と、1436年に完成したことがラテン語で記されている。
画面の読み解き
館の解説によれば、中央の聖母は幼子に花束を差し出され、幼子はもう一方の手でワカケホンセイインコと遊ぶ。左は聖堂の守護聖人であるランスの聖ドナトゥスで、行列用の十字架と、五本の蝋燭を立てた車輪を持つ。右には甲冑の聖ゲオルギウスが立ち、兜を脱いで、同じ名の参事会員ファン・デル・パーレを聖母子に引き合わせる。白い法衣でひざまずく年老いた病身の参事会員は、開いた祈祷書と眼鏡を手にしている。
技法・様式
館は、ファン・エイクの写実の鋭さを示す例として、ゲオルギウスの兜と甲冑の映り込みを挙げる。兜には聖母の姿と窓が何度も映り、背の盾には赤い帽子の男が映っていて、画家自身ではないかとされる。フランドル美術コレクションの論考によれば、聖母のまわりに聖人たちを同じ画面に並べる「聖会話」の、知られる限り最も早い例で、聖人を別の板や扉に描く従来の形を破った。館によれば、場面はロマネスクの聖堂の内陣で、壁の柱頭と玉座の彫刻には旧約聖書の場面が刻まれ、キリストの犠牲の死を予告している。
来歴
同じ論考によれば、ファン・デル・パーレは健康を損ねて務めを解かれた1434年、自らの魂の救いのためのミサの基金を聖堂に設け、それを機に本作を注文した。1547年にはハンガリー王妃マリアが使者を送って本作を求めたが、参事会は手放さなかった。1794年8月21日にフランス軍に接収されてパリへ運ばれ、ブルッヘ市の努力で1816年に戻ったときには聖堂は取り壊されており、新設のアカデミーに収められた。所蔵番号は0000.GRO0161.I。
意義
館は、元の額が残り、そこに画家の名を記したことを、15世紀としてはきわめて新しい試みと評している。論考によれば、本作は完成後まもなく名声を得て、15世紀末には早くも模写が作られた。同じ画家の作品には《アルノルフィーニ夫妻像》や《宰相ロランの聖母》がある。