《十字架降下》
- 作者
- アーニョロ・ブロンズィーノ
- 制作年
- 1543–1545年
- 素材
- 板 / 油絵具
- 寸法
- 261.5 × 172 cm
- 所蔵
- ブザンソン美術考古博物館
- 時代
- ルネサンス
天使たちが十字架や槍を抱えて空を舞う下で、青い衣の聖母が膝にキリストの亡骸を抱く。ヨハネが亡骸を背から支え、マグダラのマリアが足に手を添える。まわりで聖女たちが嘆き、右奥に老人たちが道具を携えて立つ。
概要
《十字架降下》は、フィレンツェの画家アーニョロ・ブロンズィーノが1543年から1545年に描いた油彩の祭壇画で、フランス東部のブザンソン美術考古博物館が所蔵する。館の題は「死せるキリストへの哀悼」。館の記録では縦261.5センチ、横172センチの板に描かれ、所蔵番号はD.799.1.29。右下に「フィレンツェのブロンズィーノ作」の署名がある。館は、本作をフランスにあるブロンズィーノの作品で最も印象的なものとし、フィレンツェのマニエリスムの傑作として、館の絵画の展示の最初に置いている。
画面の読み解き
フランスの文化財データベースの主題の索引によれば、画面には、死せるキリストを膝に抱いて座る悲しみの聖母、ひざまずく聖ヨハネとマグダラのマリア、杯とヴェールを持つ天使、受難の道具を持つアリマタヤのヨセフ、壺を持つニコデモ、長い髪に宝飾をつけた女性たち、そして受難の道具を運ぶ雲の中の幼い天使たちが描かれている。画面の上では、天使たちが十字架、槍、葦の棒を抱えて舞い、その下に人物たちが密に組み合わされる。中央のキリストの体は、ヨハネに背を支えられて聖母の膝に横たわり、右下ではマグダラのマリアが足に手を添えている。
技法・様式
データベースに引かれた館の解説(1992年、M. ピネットと F. スリエ=フランソワ)によれば、本作はトスカーナのマニエリスムの典型的な例であり、ミケランジェロへの敬意の表れでもある。聖母が亡骸を抱く「ピエタ」の部分は、ミケランジェロがサン・ピエトロ大聖堂に残した名高い大理石の《ピエタ》を引用している。同時に、ブロンズィーノの師であるポントルモへのオマージュでもある。
来歴
館の解説によれば、本作は、のちのトスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチが、妃エレオノーラ・ディ・トレドの私的な礼拝堂のために、フィレンツェの政庁ヴェッキオ宮殿の中に注文したものである。しかし完成するとすぐ、1545年に、神聖ローマ皇帝カール5世の首相ニコラ・ペルノ・ド・グランヴェルに贈られた。グランヴェルが1551年に没すると、作品は一族の墓所の礼拝堂に置かれた。フィレンツェの礼拝堂のためには、ブロンズィーノは送り出した作品の写しを描くよう命じられたが、あまり気乗りしなかったようで、新しい一点の完成は1553年までかかった。本作はフランス革命期の没収を経て、1799年に館の目録に記された。
意義
館によれば、館の起源は、グランヴェル父子の名高い収集にさかのぼる。1694年、サン・ヴァンサン修道院長ジャン=バティスト・ボワゾが、グランヴェル家の旧蔵品を含む自らの収集を市のベネディクト会に遺贈し、決まった日時に公開するよう求めたのが始まりである。本作は、メディチ家からカール5世の重臣への贈り物として、ブザンソンに伝わった。2007年から2008年には、館で修復の過程を紹介する展覧会が開かれた。同じ画家による公妃の肖像には、《エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ》がある。